小室哲哉様、私は100歳になってもあなたの音楽を聴き続けます

今回の報道を耳にして、一番に思ったのは、

「なんでこんな大事な時期に、そんな迂闊なことを」

でした。

私がTMのファンになってから33年から34年になりますが、ずっとあなたの音楽が大好きです。

その間に本当に色んなことがありました。
うれしかったことも、がっかりしたことも腹立たしく思ったことも。

それでも大好きであり続けたので、絶望的な状態から、少しずつ少しずつ戻ってきてくれて、少しずつ少しずつ陽の当たる場所に出てきてくれて、こちらも少しずつ少しずつ暖まってくるのを感じていました。

特に今年は「仮面ライダービルド」の音楽、そして先週からは「ラストアイドル」のプロデューサーの一人として、一気に表に戻ってきてくれて、どれだけうれしかったか。
毎週日曜日の朝、あなたの音楽に喜び、これからは土曜日の夜も楽しく過ごせるのだろう、と思っていました。

それだけに、事実がどうであれ、ああいう記事になってしまうような行動を取ったことが、ファンとしては本当に腹立たしくてたまりませんでした。

そしてここからは個人として思うこと。

同じように、命に関わる病人を抱えたことがある人間として、ものすごく気持ちが分かります。
全く同じではないとしても、それこそ「はしくれ」ぐらいは一緒の感情を抱えたことがあるんじゃないか、と思います。

どんな辛いことも、先が見えればこそ耐えられたりもするものです。
どんな辛いことも、元通りになったら笑い話にでもできるものです。

それが、ゴールが見えない、終わらない。
終わる時というのは、大事なものを失う時であるということ。

辛い時間が早く終わってほしい気持ちと、それが終わる日が来てほしくない気持ちのジレンマ。
そう考えることですら、「自分の罪」だと感じること。
今まで起こった悪いことすべてが「自分の罪のせいではないか」と感じること。

こんなことの、何か少しでも、私も同じ気持ちがかすったことがあるように思います。

今は、そんな中に降りてきた1本の蜘蛛の糸すら切れてしまったような、そんな気持ちで、心が折れてしまっているかも知れません。

だから、今はもうゆっくり休んでください。
そして、もしも、もしも、ちょっとやってみてもいいかなと思う日が来たら、その時は、あなたの音楽が好きな人の前でだけ、ちょっとやってみてほしいと思います。

待つとは言いません。
待ちません。

その日が来ても来なくても、私があなたの音楽をずっと聞き続けることには変わりがないからです。

私はきっと、100歳の誕生日にも、あなたの音楽を聴いています。

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