今朝テレビを見てたら、
「災害後の子供が災害関連の遊びをしても責めないで」
というのがありました。
その時やってたのは、なんと、
「火葬ごっこ」
だったんです。
ショッキングですよね、小さい子供がそんなこと。
ぬいぐるみを板?か車みたいなのに乗せてるんですが、写真見ただけではそんなこと想像もできない。
ちょっとびっくりしたんですが、それも大事なことなんだそうです。
子供は子供なりに、心に受けたショックとかをそうして癒やしてるんだとか。
だから責めないで様子を見てあげて、って。
その行動をいい結果に導いてあげるのもいいらしい。
「よかったね、逃げられて、助かって」とかってオチにすればいいのかも。
で、思い出しました。
「あ、そういや私もやった記憶があるわ」
幼稚園の時だったと思うんですが、確か台風で結構な被害が出たんですよ。
その時のことです。
当時、5階建ての団地に住んでました。
小さい団地で2棟だけだったんですが、うちは1号棟ですぐ横に川が流れてました。
その川、なんて言うのかな、下にちょろっと川が流れて、その途中に段があって、そこに戦後家を建てた人達が住んでたようです。
川には木の階段とかで降りられて、上の道にはまたそっちに階段で上がるとか2階で繋がってる、とかって感じかな。
その川が、道まであふれるぐらいに水が流れてました。
うちは3階だったんですが、そこから見下ろした川は泥の色をして色んな物が流れてたのを覚えてます。
その時の水害で、確か3名ほど亡くなったはずです。
うちの家のすぐ下ぐらい、川の水が建物の敷地まで溢れてきてて、一部が水にえぐられてました。
あれがひどくなったら避難とかになってたのかも。
そうしたら母親が、
「何かあったらあんたら背負って逃げるから」
と、着物の紐とか出して準備しました。
幼稚園とは言え、私はそこそこ大きい子だったし、妹は小さかったけどそれでもやっぱりもう幼稚園の子です。
今思えば無理なんじゃないかなと思いますが、それでも逃げる準備をしてたのは覚えてます。
幸いにも、うちはなんともなくて逃げることもなかったんですが、しばらくの間、お人形を背負って逃げる準備したり、お人形に赤ちゃんの人形くくって逃げる、なんて遊びをしてたなあ。
その時に心の傷を癒やしてる、なんて意識なかったけど、やってた。
どんどんえぐれていく場所がちょうど目の下で、それはそれなりに怖いと思ったし、いつもは底の方をちょろちょろっと流れてる水が大水、しかも家も全部飲み込んで道まで溢れてるのも少しは怖かったけど、それよりも不思議な感じがしたのを覚えてます。
窓からしばらく外見てたな。
すごかった、今思えば。
多分、今の方がもっと怖く感じるだろうな。
その水害の後、川にずらっと並んでた家が全部立ち退きになりました。
どうも戦後に不法占拠に近い状態だったらしい。
私の幼稚園のお友達とかもいたんですが、引っ越して行きました。
その後、家が立ってた場所は、団地の人達と畑とかして、作ったイチゴとか食べたことあるな。
畑にはひもつけたバケツで川の水くんで、近所のおばちゃんと一緒に水やりとかしてた。
遊ぶのもその川でメダカとったりしてたし、それ以降は一度もそんなことになったことはないです。
上に小さいダムができたりしたから、そのおかげもあるかもですが。
そのダムより上流には、ハイキングみたいにして歩いてちょっとした山に入ったりして、ご近所の人達と一緒によもぎとってきて草餅作ったりしたな。
どくだみ積んで「お茶にする」って言ってた人もいたなあ。
今はどうなってるんだろう、あそこ。
行こうと思えば前の家には行けるけど、あのあたりはどうなったか今の今まで忘れてた。
思わぬ避難ごっこで思い出してしまった。