実家でテレビを見ていたら高野山が出て、そこから、
「馴染みのあるお寺と言うとやっぱり須磨寺かな」
という話になりました。
うちの菩提寺はもちろんありますが、私は子供の頃から須磨寺の「おだいっさん」に出入りしていたので、子供の頃の思い出がたくさんあるのはやはりこちらになるのかも。
小学校の頃、夏の暑い日なんかはわざわざ学校の帰りに須磨寺の「霊泉」まで足を伸ばし、そこで冷たい水を飲んで、さらに水筒にも水を入れてまたそれを飲みながら帰ってました。
今考えてみると、わざわざ須磨寺まで足を伸ばさずまっすぐ帰った方が近いのに、そういうことしてたなあ(笑)
そして21日になると「おだいっさん」の縁日があります。
一度家まで帰って荷物を置き、お小遣い握ってまた須磨寺まで行ってました。
今思えば子供って元気やなあ。
須磨寺の商店街の方、下の方からずっと上がって行くんですが、行きには買い物は我慢です。
ちゃんとお参りしてから、を守ってました。
というか、私、誰と行ってたんだろう?とあまり思い出せない。
近くの子と行ってたとしたらあの子かな?って人もいることはいるんですが、その子たちだけではなかったと思う。
なぜか妹とは行ったことがないと思うんだが、一度だけそう仲良くもなかった妹と同学年の女の子と行った記憶はあるな。
で、思い出したんだが、仕事に行ってた頃、春節祭となると仕事帰りに南京町に行ってたんですよ、毎日のように。
その時に職場の友達とかが「一緒に行ってもいい?」ってことで、一緒に行くことがあり、そう親しくない人とも行ってたから、その当時もそうだったのかな?
何しろ「○○さん(私ね)と言えば春節祭」と言われるぐらい毎年のことで、そんなに面白いのかとついて来てた人色々いたから、子供の頃からそうだったのかも知れない(笑)
まあ、そんな感じで毎月のように行くんですが、お参りなんて一応するけど子供ですからね、縁日の買い物がやっぱり目的だったように思います。
よく覚えてるのは入り口に近い方、参道を登る方向を向いてその右側に安い雑貨やおもちゃを売ってる店があり、そこで毎月のように「今月はフォーク」「次はナイフ」みたいにままごとの食器とか買ってました。
それから同じ列のもう少し上には「芋飴」の屋台があり、そこで飴を買ってはおばさんのお土産やお見舞いにしてたなあ。
斜め切ったねっちゃりとした飴で、おじさんにいくらいくらと値段を言うと重さを計って入れてくれるんですが、毎月のように買うので顔を覚えられて「おまけしとくな」と言ってくれてました。
本当かどうかは知らんけど(笑)
それからさらに上に行くと、やはり道の右手に「穴が開いたお鍋に張ると水がもれないシール」とか「タージ・マハルのまり」とかそういうのを色々売ってました。
左手のお店はあまり覚えがないんですが、階段のすぐ下あたりの左に当時はまだ「傷痍軍人」さんが、白い服装、松葉杖をついてハーモニカを吹きながら立ってました。
前に置いてるお鍋だったかなあ、箱だったかなあ、そこに通りがかりの人がお金を入れると頭を下げてました。
男の子たちが、
「あのおっちゃん、夕方になったら松葉杖外して歩いて帰っとったで」
とか、本当か嘘か分からんこと言うてたなあ。
その階段を上がると右手に鐘があります。
「浄財」と書かれてた(と思う)箱にお金を入れてから鐘を撞くんですが、子供はみんなだまって撞いてました。
そしてその「浄財」の箱を男子たちは、
「あの箱の中に敦盛の首が入っとう」
って言ってて怖かったなあ。
本当の「敦盛塚」は上がって左に曲がったずっと先なんですけどね、子供たちの中で情報が曲がって伝わっていたのでしょう。
「敦盛塚」までは行かないけど、その当たりでお参りをして、それから縁日を楽しんでました。
さっき書いてた下のお店は上から順番に行ってたので、おままごとの道具は最後の最後に行くお店でした。
境内まで上がってしまうと左手にテントみたいになって「かんとだき」とか売ってる店があり、正面あたりには「釣り鐘まんじゅう」って言うのかな、釣り鐘みたいな形で中にあんこが入ってるおまんじゅうを売ってました。
「かんとだき」も「釣り鐘まんじゅう」も子供からするとちょっと高かったので、あまりそれは買ったことないな。
何しろ帰りにおままごとの道具を買わないといけないし。
そのテントみたいなところのどっちだったかなあ、「のぞきからくり」を置いてある場所があったんですよ。
何かの建物の外だったと思います。
確か30円だった思うけど、なぜか毎月それをのぞくのが楽しみでした。
ちゃりんちゃりんとお金を入れて双眼鏡みたいなのぞき窓から中をのぞくと、カシャンカシャンと紙芝居みたいに絵が入れ替わってお話が始まります。
それが、中学の時に国語の教科書に出てきた「敦盛と直実」だとは知らず、毎月毎月飽きもせず、一緒に行った友達が呆れるほど毎回見てたなあ。
思えばあれが、須磨寺が私の古典好きの原点だった気がする。
何しろそういう場所とか多いですからね。
「のぞきからくり」を見てから色々買ったり食べたりしながら下に戻って行って、須磨寺の商店街の入口で連れとばいばいして帰ってた気がします。
いつも絶対決まった子と行ってた記憶はないんですが、須磨寺の商店街の子や、確か天理教だったかなあ、があって、そこの子と一緒だったこともある気がします。
そんなこんなで馴染みのお寺だったせいか、今住んでるマンション、ここを買う時にちょっと色々あって一度諦めかけたんですが、その時にととろさんに、
「須磨寺にお参りに行きたい」
そう言ってお参りして、そこでととろさんに「また最初から家さがししよう」と慰められて、いやいやながら諦めようと思って帰ってきたら買えるようになっててびっくりしました。
なんか、その時だけじゃなく、何かあったら今もお参りに行ってるなあ。
1人だったり、ととろさんや他の人が一緒だったり、今もそんな感じで行ってる気がする。
しかし、なんで子供の頃ってこんなによく覚えてるんですかね?
今、同じようにしてどこかに行ってもここまでしっかり覚えてない気がします。
いつ思い出しても懐かしい須磨寺のお話でした。