日別アーカイブ: 2017年4月26日(水)19時20分

じゃなくて、よかった

なんか、そういうこと言ってクビになった大臣が出ましたね。

これ、本音でしょうねえ。
ずっと感じてましたが、言葉にする人は少なくて、ここまで問題にならなかったんだと思います。

あの阪神淡路大震災の時、我が家は幸いにして被害が少なく、そのまま家に住み続けることもできたし、間接的にはあったけど直接的に知ってる方で亡くなった方もありませんでした。
その年に亡くなったおばさんの法事が先日あったわけですが、被害がなかったと分かったらもうおばさんのことばかり気にかかり、当事者の一部でありながら、少し現場からは心が離れてしまった感じはあります。

人間というのは勝手なもので、自分に直接関係ないことからは少しずつでも遠ざかってしまうものなんですね。
申し訳ないと思うと同時に、やはり知らない人の命より、大事な人の命の方が大事なんです。

そんな時にテレビや新聞で目や耳に入ってくる言葉で気になったのが、

「もしもこれが首都圏で起こったら」

でした。

これ、言い換えれば、

「首都圏でなくてよかった」

ってことになりませんか?

今回みたいに直接的な言葉じゃないからいいと思ったのか、一日に何回も何回も目に耳にしましたよ。

すごく不愉快でした、「関西だからその程度で終わってよかった」と聞こえるから。
「関西やったら地震あってもよかったんか、それで首都圏の時のシミュレーションになるからええんかい!」と思ったなあ。

東日本の時には、首都圏も多少なりとも被害があったからか「もしも」とはほとんど聞いた記憶がないんですが、煎じ詰めると、やっぱり「一番ひどかったのが首都圏でなくてよかった」ってのはあるんですね。

仕方のないことだと思うんです、人間誰しもそういう気持ちがあるの。
上にも書いたけど、当時、震災の中にいた私でも、親しい人があまり被害がないと分かったら、少し離れたと感じたんですから。

ただ、それをああいう立場の人は絶対に口にしてはいけないと思う。
それを抑えることができる人が、上からそういうことの指示とかするのが本当ですよね。
難しいことだとは思うけど、できない人に上に立って欲しくない。

他人の気持ち、他人の痛みを「分かれ!」と言うのはとっても難しいことだと思います。
その立場にならないと、やっぱりどうしても分からないんです、気持ちの問題って。
それでも、近い経験から推し量ることはできるし、完全に分からなくても分かろうと努力することはできます。

それに、気持ちの上で他人の痛みとかが分からないだけじゃなく、そういうことを言ったらどういう印象を相手に与えるか、を頭でも分からないのがなんとも情けないと思いました。
せめてどちらかが分かっていたら、うっかりと「じゃなくて、よかった」とは言えなかったんじゃないかなあ。
たとえ本音でも、口に出してはいけない、と大臣と言われる人なら頭でだけでも分かっていて欲しかったです。