日別アーカイブ: 2020年8月24日(月)20時02分

だがし・かし

お昼にテレビで大阪で有名なお菓子屋さん、と言うか駄菓子屋さんなのか?をやってました。
私も今までテレビで何回も見たことある会社ですが、実際には行ったことないしお店も見たことはありません。

よく駄菓子屋さんの特集とかを見たら「懐かしいなあ」と言ってる人を見るんですが、実は私は駄菓子屋さんってほぼ大人になるまで行ったことがないのです。

理由はいくつかありますが、一番大きかったのは「近くになかった」からかな。
小学校の時、須磨寺近くの商店街には「いも屋」さんという駄菓子屋さんがあったようです。
「ようです」と言うのは商店街に家がある友達が「いも屋さんに寄って帰ろう」とか言ってたのを聞いたことがあるからです。
なので正確には「芋屋」なのか「いも屋」なのか「イモ屋」なのかその他かも分かりません。
ですが、あったのはあったようです。

一方、うちの家があったのは離宮公園近くで帰り道に商店街なんかない。
買い物に行ってた商店街やスーパーはあるけど、そこにも駄菓子屋さんなんてなかった。
お菓子とパンを売ってるお店があったので、スーパー以外だとそこが駄菓子屋さんに近かったんでしょうが、そういうのは買ったことがなかったです。

理由の2つ目は、おそらくすんごい偏食だったから。
小学校の時、給食でどれだけ苦しんだことか・・・

お菓子も今にして思えば駄菓子系は苦手でした。
お菓子と言うとチョコレートとかクッキー、プリンとか、そういうのしか食べなかった気がする。
おそらく、毎週末のように行ってた花隈の大伯父がいつも「クリームパピロ」を買って待っててくれた、とかの影響が大きいのかも。
同じように「ゴーフル」「神戸ピア」、「ヒロタのシュークリーム」「ヒロタのシューアイス」とかは食べてたけど駄菓子系は食べなかったのです。

いくつぐらいかなあ、小学校に入ってたか入ってなかったぐらいの時、母親が近所のおばさんに文句を言われたそうです。

「白蓮ちゃん(仮名)はうちがあげたお菓子食べなくてかわいげがない」

みたいなこと言われたそうなんですが、はっきり覚えてますがその時くれたのが「酢昆布」だったんですよ。
めっちゃ嫌いでした(笑)
子供会や盆踊りみたいのがあるとお菓子の詰め合わせみたいなのをくれるんですが、大抵入ってた「かっぱえびせん」「酢昆布」「ラムネ」「オブラートみたいなのがついたゼリー」みたいなのが食べられなかった。
飴やガムは食べたけど、それ以外の駄菓子系ってほぼ全滅だった気がするなあ。

大人になって、友人達が駄菓子屋さんとか見つけて入って「懐かしいなあ』と言っても、私はそういうわけで全く懐かしくなかったのです。
今の方がまだ食べるかも。

今思えば、お友達と駄菓子屋さんで小さいお菓子食べたり「当てもん」したりとかの思い出がないのはちょっとだけさびしいかな。
その代わりのように須磨寺の「おだいっさん」で5円のままごとのおもちゃとか買ってたがのそれになるのかな。
須磨寺で買ってたのも中にあんこが入った釣り鐘まんじゅうみたいのだったけど、ああいうのは食べたな。

みなさんは駄菓子屋さんの思い出ってあるんでしょうか?