日別アーカイブ: 2020年1月22日(水)09時49分

女の子らしく?

今朝の「あさイチ」で「女らしさを押し付けないで」てなテーマをやってました。

朝の用事をしながら見てたんですが、う~む、色々と疑問がある。
今朝はテニスがあるからと1時間でぶった切られたのも理由の一つかも知れないし、私が用事の片手間にじっくり見られなかったのも理由の一つかも知れないけど、なんとも中途半端な気がしました。

大体のテーマは分かるんですよ、社会で男らしさや女の子らしさを押し付けてるって部分はあると思うし。
納得できる部分もあったけど、それでもやっぱり「中途半端やな~」ってのが今朝の感想でした。

少し前にネットで回ってきた話題に、

「子供が生まれた時の性別のまま一生生きるかどうか分からないから男女関係なく育てる」

ってのがあって疑問に感じたけど、その時に近い感覚だったかな。

だって、それって逆に押し付けじゃないの。
生まれた時に2つの性別のどちらか、とか書くとまた「そうじゃない人もいる」ってうるさく言われるんだろうけど、大部分は男女どっちかに生まれると思うんですよね。
少数に両方とかどっちでもないって人もいるだろうけど、多分大部分はそう。
見た目で区別するしかないもん、最初は。

その後、心が女性で体が男性だったとか、どっちかってと反対の性別寄りってのは出てくると思うけど、生まれた時はとりあえず見た目の性別で判断してあげてればいいのに。

もう一つ思ったのは、

「男女どっちでも使える色にする」

ってやつ。

そもそもそこで「青は男の子、赤は女の子」って親の方が決めてるがな。
どっちでも使える色にするって青と赤はぶくんじゃなく、青も赤も着せてあげればええやん。
なんかちょっと私の感覚からは違う気がする。

自分に関して考えてみたら、周囲が騙されてたような気がします。
なぜかと言いますと、私は小さい頃から料理やってたら、それだけで「女の子の仕事してる」とか思われてったぽいから(笑)

私は何しろ「好奇心で死ぬタイプ」なもんで、なんでもやりたがりなのですよ。
大抵のことは自分でやりたい。
だから料理もやりたくてやってたのと、何しろすんごい偏食で食べられない物が多くて、食べられないご飯の時は「ストーブの上でソーセージ焼いて食べる」ってな甘やかしをされてたので料理をするようになったわけで(笑)

それが女の子のことだからやりたいわけじゃなく、男の子のことだからやりたくないわけじゃない、どっちもやりたい。
まあ、運動神経ないしやれないことも多かったけど、それは性別関係なし。

小さい頃から魔法少女のアニメも見ればライダーや戦隊、ウルトラマンも見たい、ホラーもかわいいのも見たい、そういうのだったから「女の子らしいの見なさい」と言われた覚えもほとんどない。
とりあえずそっちも見てるから言う必要なかったんでしょう。

今もそれは同じです。
実家のことも含めて家のことをやってますが、それは自分がやりたいから。
女の子だからやってるわけじゃない。
人にとやかく手出し口出しされるのが嫌なだけ(笑)

「娘さんが近くにいてお父さんもよかったね」

ってよく言われるけど、もしも私がこのままの性格・人間性で息子だったとしても多分同じことしてます、多分。

家事はほぼ私がやってるけど、ととろさんはお金稼ぐ方をやってくれてて、うちの生活を役割分担してたまたまそうなってるだけで、もしも私が外に仕事に出るようになって家事ができなくなったらやってもらいます。
う~ん、やっぱり自分でやりたいからそこそこはやるかな?(笑)

逆に、私は店の仕事とかも手伝ってたけど、うちの商売は力仕事が多いので、娘さんだったらそういうのやらんな。
「息子さんがいたら心強いわね」って言われるような仕事、今もやってますよ。
というか、実家にいた頃から「一番大きいから」と言われて高いところのこととかも結構やってました。
私も160ないぐらいだけどそれでも一番背が高かったですし。
考えたらあまり娘扱いされてないか?(笑)

でもまあ、はっきり言うと、私は商売や仕事が嫌いじゃない。
だから父親の手伝い、と言うか、今は役割分担が分かれてかなりの部分受け持ってますが、実家が商売してる限りは必要なことをやってるだけです。
ととろさんは力仕事とかして私がケガしたりしんどいのが嫌、みたいに思ってるみたいだけど、嫌いなわけじゃない。
もしもそれで生計が成り立つならこれからもやってもいいけど、小売店はもうだめなので父親がやれる間だけやって手伝うと決めてるので、その間は今の形でやっていこうと思ってます。
仕事やめたらとーちゃん瞬間でボケると思うし(笑)

ただ、さぼりたい時はあるし、家事と両方だと時間とか体力が足りなくてイラッとすることもあります。
そして、掃除と洗濯はあまり好きじゃないのでできれば他の人にやってほしい(笑)

「やりたがり」で「自分の好きにしたい」性格だからどれもやるわけです。
家の壁紙も貼るし棚も作るしご飯も作るし、遊びの部分でもビーズ手芸やればフィギュアも作る、プラモも作るしお裁縫もやる。
それ、どれも「女の子だから」やってるわけじゃないものばっかり、「私だから」やってるわけです。

車の運転だって、うちはととろさんがあまり好きじゃなくて私が好きだから私がメイン運転手。
それを「男がいるのに女が運転するの?」なんて言われるのは心外です。
そう言うと「え」てな顔する人結構多いのよね、残念ながら。
ととろさんが運転しないのが甲斐性なし、ぐらいの反応する人もいる。

そういう感じだから、ととろさんでよかった、って思うことがいっぱいあります。
好きにやらせてもらってるから、それが一番うれしい。

先にも書いたけど、掃除が苦手なので細かく見て「ほこりがある」と言うタイプだったらとっくに離婚してるな。
棚とかも自分がやると思ってもない形に作られたらそういう部屋にいるの辛い。
私が作ったの見て「危なくない?」って心配したり感想は言うけど、それで納得してくれてるからうれしい。

車もずっと助手席でじっとしてろと言われると辛い。
自分の意思で自分のペースであっちこっち行きたい。
「もうちょっとスピード落としたら」とか横で言うことはあるけど、方向音痴な私の代わりに地図を見てくれたりしてくれてる今のペースがとってもいい。

つまり身勝手わがままなんですよ、私。
そのわがままな「私らしい」でいられる今の生活がとってもいいんです。

「私らしい」に「女の子らしい」も含まれるんじゃないの?
その部分を男女平等に、男女差別ないようにって殺していくのっていいことだとあまり思わない。

もしも、その女の子が「ズボンがはきたい」って言ってるのに女の子だからってスカートはかせるなら、それはいかんと思う。
けど好きでフリフリドレスやスカートはいてるならはかせてあげてよ。
最初から与えないのじゃなく、フリフリスカートもかっこいいパンツもはかせてあげればいいじゃない。

その代わりに「制服のスカートが嫌」って言うならその制服がないところに行けばいい。
行っておいて「制服押し付けるな」はちょっと違うよね。
他の学校を選ぶ自由があるんだから、制服がないかズボンの制服もあるところに行けるじゃない。
そこを選んでおいて中から窮屈だって声を上げるのは違うだろう。

これまでが「女の子はこうあるべき」で押さえられてたってのは否定しません。
ただ、それをやめようって言う方向が「ちょっと違うんじゃない?」って思うことが多い気がする。
そしてそれを逆に利用してる「女の子」も多いってのも、今日ちょっとやってましたな、「すぐに泣く」とか。
でもそれも男も女も関係なく、泣かれるとやっかいと思う(笑)

思うに、昔は上から「女の子らしく」って押し付けられるとその部分が窮屈だったんですよね。
今は「上から押し付けるな」って言うと同時に、中からも「押し付けさせるな」って押し上げてるんだけど、その力のかかり方が変だから◯がいびつになって窮屈な気がする。
一部だけ突出して強く突っ張ってるその方向からずれるの許さないって感じなんよねえ。

◯であるにはどうしたらいいのかな。
窮屈じゃなくなるにはどうしたらいいのかな。
なんか、そんなこと考えました。