節分の巻き寿司と赤川次郎

今年はいつもより1日早い節分の日、124年ぶりの2月2日の節分らしいですが、次の2月2日は4年後、しばらくは4年ごとに2月2日が節分の日が来るとか。
実際の地球の動きに合わすためとはいえ、もうちょいばらければいいのにね。

節分といえばここ何年ぐらいか?恵方巻、恵方巻と言って丑の日のうなぎぐらい言われてますが、元々は関西のイベントなんですよ、それが気づけばこんなことに。
丑の日と言えば、丑の日にうなぎも平賀源内が言い出した時はこんな感じだったのかも知れないなあ。

ですが私は子供の頃から「節分の巻き寿司」「節分の太巻き」を言ってたので恵方巻と呼ぶ気には今もなれないので巻き寿司でいきますよ。

それでですね、思い出すことがあります。
もうずっとずっと前、まだ私が仕事してた頃の話です。

友人が東京で編集の仕事をしてたんですが、職場にいきなり電話がかかってきてびっくりした。

話を聞いてみると、友人の友人で私も会ったことがある人が、当時、赤川次郎の担当をしていて、えらくかわいがられていたらしいのです。
取材旅行にも同行したりとか。
その友人の友人からうちの母親に電話してもいいか?と確認してきて、それで急ぐから職場にまでかけてきてたのでした。

なんでかと言いますと、

「関西では節分の日に巻き寿司を恵方を向いてまるかぶりする風習があるらしいが、その話を聞きたい」

と、赤川次郎さんが言ってきた、ということでした。

そのまだ前、友人がまだ関西にいた頃、大学の時だったと思いますが、一緒にあるアーティストのライブに行った日が節分だったので、うちの母親が、

「節分だから持って行って会場で食べなさい」

と、まるかぶりは無理だけど巻き寿司を2本、切って持たせてくれたのでした。

その巻き寿司を入口チェックで何かと聞かれて巻き寿司と答えたら、

「アーティストへの差し入れですか?」

と聞かれ、なんでやねんとなりました。

それを会場に入る前に食べてしまおうと階段途中にあったベンチ(そこしかなかった)で入場する人たちにじろじろと見られながら食べた、その話を赤川次郎の担当編集の人にしたらしい。
その人が「そう言えば友人の友人が関西で」とその話をしたら「面白いから聞きたい」とまた編集だったか秘書だったかなんだかの人を通してうちの友人、さらに私経由でうちの母親に取材電話がかかってきた、というわけです。

私は申し訳ないことに赤川次郎作品は今にいたるまで1本も読んだことがないんですが、作品の中か、もしくはエッセイにでも出てきていたら、その出どころはうちだということになります。
節分になると思い出す話でした。

うーん、実際に書いたのかなあ、どうかなあ。
当時は「へえ」で終わってたんですが、今になってどうだったか知りたくなってきてたりします。

もしかしてナイトスクープだったら調べてくれたりするんだろうか(笑)

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