日別アーカイブ: 2020年12月4日(金)09時53分

人生で一番まずかったけどおいしかったカレー

冬になってくると父親にご飯を置いて帰るのがちょっと楽になります。

なんでかと言いますと、汁物が多くなるから。
定番の「けんちん汁」「豚汁」「粕汁」と我が家の「シチュー」を交代で作るようになる。
一昨日の水曜日は「シチュー」にしました。

うちの「シチュー」は和風の出汁にタマネギ、ニンジン、ジャガイモ、牛肉を入れて煮て、そこに醤油味をつけるものです。
なんでか分かりませんがこれが定番。
母に聞いた記憶では祖母が作ってたって言ってたような気がします。

それを作ってそこに一品足すと一食になるのでとても楽になります。
ついでにもう一品副菜とか足すとパーフェクト。

水曜日にそれを作り、半分はととろさんとこっちで食べるように持って帰りました。
汁物するとこうして荷物が重くなるのだけが難点ですが、最近はけんちん汁と豚汁の時は具材持って帰って家で煮るし、ととろさんは粕汁嫌いなのでその時は持って帰らなくていいので実質持って帰るのはこのシチューだけかも。

シチューと「鶏肉の山椒焼き」と「小松菜の炒めもの」の取り合わせでした。

そしたらととろさんが、

「このシチューはちょっと脂っぽいからもっとさっぱりしたのと合わせるのがいいかも」

とか言い出したんですよ。

そんな脂っぽいこともないんですが、個人の感想なのでそんじゃ今日はどうしましょうって話になりました。
実家の方はその取り合えせでいいとして、ととろさんに何食わせるか・・・

そんでふと、

「そんじゃここにカレールー足してカレーにしたげよか?」

と言ったらクマ大喜び(笑)

問題解決!

それでいきなり思い出したことがありました。

高校2年生の時です、なんでかクラスメイトの男女合わせて7、8名(人数ははっきりしないけどこのぐらいだったと思う)で、

「六甲山に飯盒炊さんをしに行こう」

てな話になりました。

不思議なのがそのメンツなんですよね。
普段そんなに話をしない、それも大人しい子ばっかりでそんな話になったんです。
他に仲良くしてた男子も女子もいたし、もっと「おい飯盒炊さんしに行こうぜ!」みたいに言い出すような男子でいわゆるリア充とか陽キャと呼ばれるようなアクティブな友人もいたのに、なんでか私も含めて大人しい地味な子ばっかりでそういうことをしたのでした。

夏休みかゴールデンウィークだったのかなあと思ってたけど、翌日学校で会ったような気がするのでもしかしたら普通の日曜日だったのかも知れない。
そのぐらい記憶もあやふやなのは、帰ってきたその後、誰とも「あんなことあったよね」って思い出話をするような付き合いになってないからです。
本当、今考えてもなんであのメンツだったのかさっぱり分からん。

とにかくそのメンバーで六甲山の「修法ヶ原池」に行くことになったのです。
余談ですが、今回この日記書こうと思って「しおがはら」だったはずと「潮」で検索したけど出なくて、ひらがなで検索したらこの字が出ました。
そうだったわ、この字だったわ。

とにかくそのメンバーでえっちらおっちら六甲山に登ったわけですよ。
つーか六甲山と言うか「再度公園」だったんですよね、今見たら。
なんでそこに行ったかすら分かりませんが、とにかく行きました。

着いたらお昼過ぎてて、池の周囲ではもう1組、こっちはそこそこ多人数のおじさんおばさんが一足早く始めてて、もうあっちこっちで飲んだり食べたりしてました。
後で知ったんですが、某スーパーダ○エーの方たちだった。

後からきてのそのそと、誰も慣れてないのかもっちゃりと飯盒炊さんを始める私たち。
多分、誰もそういうことに慣れてないからか、なかなか火が点かないし、点いても手際が悪くてなかなかお鍋も煮えない。

「この具合で薪足りるかなあ」

ってなことしてたら、その○イエーのおばさんたちが見かねたのか、

「ちょっと貸してみ」

と、自分たちのところからドバドバ薪を持ってきてドンドン放り込んでくれたんですよ。

「あ、あ、あ、あ、水が~」

あっという間にぐつぐつ煮えて水がどんどん減ってきた。

「水、水」

そう言って水も持ってきてくれてドバーッとお鍋に入れてくれて、ついでに自分たちの残った具とかもドバーッと入れてくれた。

「お鍋の具」

を。

「あ、カレーやったんか、ごめんな~」

そう言って謝ってくれたんですが、何しろ前述の通りみんなおとなしい子ばっかりだったので「いえいえ」とお礼を言ってカレールー入れてカレーが出来上がったんですが、

「まっず・・・」

普通、カレーって大抵の人が適当に作ってもおいしいもんなんですが、不思議なぐらいまずくなった(笑)
何をどう入れてくれたのかも分からんけど、食べられないことはないがおいしくない。

こういう時、陽キャの子でもいたら「おいおいまずいな~」とかって話を盛り上げてくれたりしたのかも知れないけど、何しろ大人しい子ばっかりなもんで、にこにこしながらももくもくと大人しく食べ終わった。

その後、池に水が少なかったのでボートに乗ったりすることもなく、適当に遊んで「帰ろうか」と帰ることになりました。

まだ明るいうちに山から降りた(ダイ○ーの人たちにお礼言って頭下げて帰った気がする)んですが、途中の名物の茶屋で一休みした時、まだそこそこ明るかった気がする。

その後、集まってあの時の話、とかもすることなかったんだが、何かあるとあの時のカレーのことを思い出してしまう。
人生にすごくおいしいスパイスとして残った六甲山カレー事件でした(笑)

みんなどうしてるかなあ。
写真の1枚ぐらい実家のアルバムに残ってると思うんだが、見ても顔は分かっても名前覚えてないそんぐらいの子だったわ大部分。
女子はまだ話した記憶があるし、1人は仲がいい子がいたんだが、もしかしたら男子はそれまで一言もしゃべったこともない子もいたと思う。
本当に謎でおいしい一日の話でした。