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手抜きのクリスマス

結婚して以来、毎年クリスマスにはケーキを焼いていたんですが、

「今年はちょっとケーキまでは無理なので焼かずに買います」

と、早々と宣言しており、早々と買うことに決めてました。

さて、どこでケーキを買いますかね。

「コストコのクリスマスケーキ買わへん?(☆▽☆)」
「ええっ、あんなでっかいの?Σ( ̄▽ ̄;) 」

この間コストコに行った時、もうすでにクリスマスケーキの宣伝が始まっていて試食をしたのでした。
実物も見たけどおっきい~

「あんなん買うて食べ切れるの?(^-^;)」
「4日ぐらいで食べるつもりでいけば大丈夫でしょー(☆▽☆)」

う、目が、目がもうキラキラバージョンになっとる(笑)

「だって○○ー○(私がお気に入りのお店)のケーキは年中食べられるけどコストコのこのクリスマスケーキは今だけ、去年は見なかったってことは来年はないかも知れへんねんで?(☆▽☆)」

負けました(笑)

ってことで、ケーキを買いにGO!
こうなったらもうついでに「ハイローラー」と「メキシカンラップサラダ」も買って私は手を抜くからね!(笑)

大量に切った野菜サラダも残ってるし、ローストチキンだけは夕べ焼いておいたけど、それ以外はなんもせんクリスマス。

何もしないなんて子供の時以来じゃないかなあ。
中学ぐらいからはもうケーキ焼いたりご馳走作ったりしてたもんなあ。

「まあ、もうほとんどの人が昨日一昨日にクリスマス済ませてるやろし、空いてるかもね」

と言って行ったけど、甘かった・・・

お昼前に到着したんですが、小さい子供さん連れた若いママさんが今まで行った時と比較にならないぐらい大量におるー(^-^;)
気をつけないとちっちゃい人をカートでひきそうだよ。
そういや、昨年の12月にカートで足をひかれたんだった、気をつけよう。

大量のカートの海を泳いで目的のケーキをGET!ごちそうをGET!他に買いたいものもGET!
渋滞の道を抜けてやや遅めのお昼ご飯の時間に実家に到着し、やや手抜きのクリスマスパーティーの開始です。

1枚目の写真がご馳走で2枚目が例のケーキです。

ファイル 1774-1.jpg ファイル 1774-2.jpg

コストコでケーキをカートに積んだととろさんが、

「なんか思ってたより大きくない・・・」

とか言い出したんですが、いざ切ろうとしたら、

「やっぱり大きいなー(☆▽☆)」

そう、大きいよ、普通のよりどばっと大きいからね!

ごっつぉう食べてケーキ食べて、思った通り父親もうちも晩ご飯はちょっと食べただけになりました(笑)
まあ、ととろさんだけはケーキも食べてましたけどね(-。-) ぼそっ

残ったケーキは冷蔵庫の棚をはずして冷蔵庫に鎮座ましましてます。
「ハイローラー」と「メキシカンラップ」まではさすがに入らないので解体してお皿に乗せて、これも他の冷蔵庫仲間を蹴散らしてケーキの上の段にどっかり陣取ってます。

明日のお昼までご飯作らなくていいので、とってもうれしいクリスマスでした(笑)

時代変われば解釈も変わる

今朝のあさイチで伊勢をやってて、その中で食器のことを「け」と言いますとありました。
ちょっと文字が見えてなかったのでよく分からないのですが、おそらくは「笥」ですね、古い言い方でそういう呼び方します。

「笥」と聞くと思い出す人がいます。
歴史上の人物なんですが、有馬皇子、悲劇のプリンスとして有名な人なので、ご存知の方、ファンの方も多いのでは?

どんな人かと言いますと、孝徳天皇の息子で、父亡き後、中大兄皇子(後の天智天皇)に殺されないように狂った振りをしていたんですが、その後クーデターを起こしたとして捕まり、死罪になりました。

その人が残したと言われている歌が2首あるんですが、そのうちの一つに「笥」が使われてます。

「家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」

意味は、

「家にいたら食器に持って食べる食事だが、旅先(処刑のための藤白坂への道中)なので椎の葉に乗せて出された」

だと言われていました。

いかにもかわいそうな歌、ですよね。
悲劇のプリンスって言われているのはこの歌のせいもあるのかも。

なんですが、どなただか忘れましたが、この説に「待った!」と唱えた人がいました。
なぜかと言いますと、もう1首の歌と比べてあまりにも卑屈だと言うんですね。
そのもう1首が次の歌です。

「磐代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また還り見む」

意味はそのまま、

「旅先の磐代の浜で松の枝を結んで、もう一度ここに来られるようにと願をかけよう」

みたいな感じ。

この歌も「生きていられたらまた来たい」って意味でかわいそうにつながることもあるんですが、どっちかと言うと明るい未来、旅先で「いつかもう一度来たいなあ」みたいな若者らしい歌なんじゃないか、だとしたら「みじめな葉っぱにご飯を盛られた」ってのと対は変なんじゃないか?ってことらしいのです。

どうやら伊勢のこのあたりでは、神様に差し上げるご飯を椎の葉に乗せる習慣があるらしく、旅先でそれを見て、

「うちでは食器に持って差し上げるのにこのあたりでは椎の葉に乗せるんだ、へ~」

と言う、旅先の若者らしい感想なんじゃないか?という解釈なんです。

そう言われるとさっきの歌の「また来たいなあ」と「珍しいなあ、へ~」ってのが対だと言われても納得ですよね。

どっちかが正解なのか、もしくは歌そのものが有馬皇子の歌ではなくて後年に「この人っぽい」と有馬皇子の歌だとされたのか、または有馬皇子っぽく誰かが詠んだ歌なのか。
どれだとしても時代によって、研究の結果によって、色々解釈って変わってくるんですよねえ。

似たようなのに、

「香具山(かぐやま)は 畝傍(うねび)ををしと 耳梨(みみなし)と 相(あひ)あらそひき 神世(かみよ)より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)を あらそふらしき」

という歌もあります。

この歌、中大兄皇子の歌で、昔言われていた意味は、

「香具山は畝傍『ををしい』と耳成山と取り合ったそうだ、神様の世からそういうことが続いているのだから今の人間も『つま』を取り合っているんだなあ」

みたいな感じです。

ところが、この「ををし」と「つま」でちょっと意味が変わってくるんですよね。

「ををし」を今でも使うそのままに「雄々しい」ととるか、「愛しい(これをおおしいと読みます)」ととるかで逆の意味にとれるんです。

「相手を雄々しいから好きだわって言うから、本当は取り合いされてる畝傍が男性で、香具山と耳成が女性だ」

「だって取り合ってるのは妻なんだろう?」って思うと思いますが、実はこれの「つま」なんですが、古代では「夫」が「つま」なんですよね。
奥さんの「妻」の場合は「妹」と書いて「いも」と読みます。

言われてみれば、なるほどなあ、です。
私もその解釈を聞いてから、こっちの方が自然だなと思い、「畝傍=夫」説を支持するようになりました。
確かに当時は一夫多妻で、たくさんの女性に夫一人が普通でしたしね。
取り合うのも日常のことだったんでしょう。

ただ、これにも反対する人がいまして、

「大和三山が並んでる姿を見てみろ、真ん中の畝傍が一番小さい、だから畝傍はやっぱり女性だ」

と言います。

う~ん、写真とか見ると実際の標高は別にして、三つ並んでるのを見ると真ん中が小さい。
だから「畝傍=妻」説も否定しきれないんですよねえ。

と、ごくごく最近に、また面白い説を見ました。

「畝傍が小さいから男性じゃないっておかしいだろう、今の時代を見てみなさい、男の子の方がか弱いよ、当時も女性が強かったんじゃないの?」

なるほどー(笑)
確かに、女性はか弱くて守られるべきって時代とはちょっと違うのかも知れない。

「私がこのだめな男を守ってやってるんだから!」
「何よ、この男を食べさせてやるのは私なんだから!」

その間でひ弱なあんちゃんがおろおろと、「けんかをやめてーボクのために争わないでー」って(笑)
あるかもなあ、あるかも知れない(笑)

「愛しい」「夫」でいいのかも知れない(笑)
別に男の人が「雄々しく」ある必要ないもんね(笑)

いやあ、やっぱり万葉集って面白いなあ。

討ちたいんだ!

今日は鍋友さんでこの曲聞いてる人多いのかも(笑)

赤穂浪士が討ち入りをした日ですね。
うちは直接は赤穂と関係はないですが、なんでか毎年討ち入りそばを作って食べます。

無理やり何かで関係あるかと言えば、母方のご先祖が広島の方の赤穂藩の家臣だったそうなのでお兄さんが殿中でござる!ことやったせいで広島藩に飛ばされた弟の大学さんが行った先になるかな、ぐらい(笑)

多分、母親がメニュー考えるのがめんどくさくて討ち入りそばに決めてたんでしょうが、私も同じようにこの日はおそばと決めてるのでおそばです。

特にどういうおそばと決まりごとはないので、甘辛く煮たうすあげと青ネギ、それに今日はゆで卵を載せてみました。

ファイル 1764-1.jpg

12月はおそばを食べる日が2回あるんですよねえ。
なかなかに珍しい月かも知れない。
同じのを食べる日が2回ある月って他にないもんね。

今日は実家に行ってお昼におそばを食べたので、もう夕方になったらお腹空いてしまって・・・
おそばの悪いところは、お腹空くのにカロリーも高いってところだなあ。
今夜はまだ残ってるカレーを食べようっと( ̄人 ̄)

じゃいけん、で、ほい!

昨日、ツイッターでK。氏が「軍艦じゃんけん」について調べてました。

「軍艦じゃんけん」と言いますのは、じゃんけんの「グー」を「軍艦」、「チョキ」を「沈没」、「パー」を「破裂」と、軍艦っぽい言葉に置き換えてやるじゃんけんですね。

最初浮かんだのは、

「ぐんかんぐんかんはーれつ!」

で、「チョキ」がすぐには浮かばなかったんですが、K。氏が言ってたのを聞いて、多分うちも「沈没」だったかなと思いました。
流れから言っても多分それです。

じゃんけんってかなり地域差、年代差があるようですね。

私が育ったエリア(神戸市須磨区)で子供達がやってたのは上の「ぐんかん、ちんぼつ、はれつ」と、他には「いんじゃんほい」と言うのもあります。
「じゃんけんぽん」の代わりに「いんじゃんほい」を使います。
「いんじゃんしよーぜー」と、男の子達が主にやってたような気がするなあ。

他には「ちっ、けっ、たっ」ってのもあったかも。

K。氏が「じゃいけん」と言うと聞いて、あったあった!と私もうれしくなりました(笑)
「じゃんけん」じゃなくて「じゃいけん」なんですよねえ。

「じゃいけんで~ほい!」

と、うちは間に「で」が入ってました。
なんだろう、その方がリズムがよかったのか?(笑)

じゃんけんと言いますと、なんでだかいつからか、「最初はグー」って言うようになってるんですが、私はあれが違和感があります。
なんか、ドリフだかなんだかが最初だと言われてるけど、なんで最初にわざわざグーを出すのかが分からない。
別にそれでやってもいいんだけど、当然のように「最初はグー」と言われると、「なんでやねん」と言いたくなる(笑)

テレビからこうして広く広がるのもいいけど、やっぱり地域差があった方が面白いなあ。
「いんじゃん保存会」でも作ろうかしら(笑)