月別アーカイブ: 2020年1月

予約なしは4時間で

先日、予約を忘れてて行けなくなった病院に行ってきました。

予約を変更するのはできるけど、連絡なしだと予約なしで当日枠で行かないといけません。
そして担当の先生がいる日でないといけない。

いつもは水曜日に行ってるんですが、今週は予定をやりくりしたら火曜日ですが今日行くのが一番いいという結論が出て行くことにしたのでした。

いつもの予約がある日は7時過ぎには出て7時半過ぎに着いてるんですが、今日は少しだけ遅く行きました。
早く行ってもあまり意味ないなと思ったからです。
そしてその判断は当たっておりました。

いつもより遅いと行っても8時過ぎには病院に着きました。
いつもだったらそのまま機械直行で採血してからいつもの待合で呼ばれるまで待つんですが、今日はまず待合の方に行くことになりました。
8時半になるのを待ってから受付を済ませ、採血の方に行くのかと思ったら違った。

「先生がいらっしゃって指示が出てから」

しか採血に行けないらしい。

この段階で「遅くなるな」と覚悟決まる。

9時半ぐらいになってやっと採血に行くことができました。
いつもより1時間遅れ、以上かな。

採血の番号を見たら85番ぐらいでした。
1時間で85人、結構すごい数だ。

「ブースが6つあるから1人4分ぐらいか」

そう考えて目につくブースで採血する時間を測ってみたら、3分で終えて次の人のと交換してました。
4分だ!

私はもう100番台だったので、計算でいくと20番ほど後、3ローテーション後ぐらいだから15分ぐらい待つかと思ってたら、ほぼそんな感じでした。

すごいな、採血の看護師さん達!
中にはすぐに来て腕を出せないような人とか、呼ばれても席外してる人とかもいたりするのに、それでも平均4分ぐらいで回してる。
私が採血してもらったのは、たまたまさっき時間を測ってた男性の看護師さんだったんですが、ものすごくうまくて、さっと刺してさっと取ってさっと終わり、痛くもなんともなかった。
すごい!

そして、採血が終わってから今度は待つの覚悟です。
採血結果が出るまで1時間はかかるから、最速でも11時前。
でもまあ、そんなことはあるまい。

結果として、診察終わったのが正午ぐらいでした。
それから会計終わらせて、ほぼ4時間。
予約ありでも2時間以上必要だけど、その倍近くかかった。
それでも思ったよりは早く終わったな。

「尻痛い・・・」

待合室で横に座ってたおじさんがそうつぶやいてたけど、気持ち分かる(笑)

まあまあ、とりあえず無事終わったので次回からはちゃんと予約の日に行こうと思います。
ほっとしたー!

エコバッグで御座候

今日、実家に行ったら店のテーブルの上に写真のような物が乗ってました。

20200120a

「御座候や」

と、父親がニヤニヤしながら言うので、

「もしかしてHさん?」

と聞いたらそうでした。

なんでも、父親から届いた年賀状が切手シートに当たったらしく、お礼にとくれたとか(笑)

「御座候70周年」と書いてある「御座候」の形をしているエコバッグです。
中にはちゃんとあんこも入ってる(笑)

20200120b

父親はエコバッグを使わないと言うので私がいただきました。

帰ってきて、これはどうしたものだろうと調べてみたら、昨年募集があって今年の1月に結果発表している「御座候思い出エッセイ」というイベントの賞品らしい。

「そんな大事なもの!」

と思うと同時に、

「応募したんやな」

と、ちょっと笑いました(笑)

新聞や雑誌にもいっぱい投稿してらっしゃるからこれにも応募されたんですな。

大きさはちょうど「御座候」ぐらいです。
持って帰ってととろさんにも見せたら「食べよう」と言ってましたが食べさせてなるものか~(笑)

しかし「御座候」だったら私も思い出あったので、知ってたら出してみたかったなあ。
よくご存知だったな、さすがと感心しました。
貴重なのに、いただいていいのかしら・・・

さっぶい!

今日は一日、家で、パソの前でごそごそ用事をしてました。

私のパソ席はリビングの吐き出し窓のすぐ横です。
この窓のカーテンが、さらにその上、天井のなんて言えばいいのか、箱みたいになった中に設置してあるカーテンレールからぶらさがってるんですが、普通サイズのカーテンを吊るしてあるので床まで届いてないのです。

「ちゃんと長さがあったカーテン買わんとなあ」

と言ったまま本日に至る( ̄▽ ̄)

足元に風よけみたいなのを買っておいて、

「まあ、これでいいか、また次の冬までには買おう」

と言いつつ本日に至る( ̄▽ ̄)

そのせいもあるんでしょうが、今日の夕方近くになってきたら、ひしひしと寒い。
窓から直接寒さがアタックしてくるような、そんな感じになりました。

「さすがに明日大寒だけあって寒いなあ」

少し早めにカーテンを閉めて外気をシャットダウンしたんですが、下のカーテンが足りないところからやっぱりちょっと寒い気がする。
足元は床暖房、直撃しないように和室のエアコンを入れてあるのに、それでも窓からの寒気がきびしい。

そうは言ってもこのあたりでは雪もほとんど降らないし、寒い寒いと言っても知れてるんですがね。
それでも寒いもんは寒いのです。

父親に夕方の定時連絡を入れた時、

「窓側の右半身だけ寒い」

と言ったら笑ってたけど、本当にこの席以外だと結構温かいのですよ。

やっぱりカーテンと、後は断熱のなんか考えないとなあ。
夏でも日差しや暑さを防げる気がするし。

ちなみに、ととろさんは「映画でも見る?」とか聞いてきたけど、用事をやりたいと言ったら今日は一日中、

「進撃の巨人を読むだけの機械」

になってます(笑)

和室はぬくぬくなので風邪ひかないようにそれがよろしかろう。

あれがないピザ

今朝、自分が食べる用のピザトーストを作っていて思い出しました。

金曜日のことです、父親が、

「今朝ピザ食べよ思たらチーズがなかった」

って、なんですとーΣ( ̄▽ ̄;)

毎朝ではありませんが、父親が食べる用にピザトーストを作って帰ります。
今週の火曜日にハードトーストで2枚分のピザトーストを作って帰って翌日、1枚食べて1枚残ってました。

前は2枚がっつり食べてたんですが、最近は1枚になってます。

「食が細くなっとんかなあ」

と心配したらととろさんが、

「朝からあれ2枚食べるってすごいと思う」

と言いました。

確かに、私でも2枚食べたらちょっと多い。
以前は朝からあれをがっつり食べてたので、お昼にそんなに食べなかったんだな。
確かに年と共に多少は食が細くなってるかもとは思います。
それでも、物によったらしっかり食べるからまだまだ大丈夫でしょう。

話は戻りますが、1枚でも結構ボリュームあるピザトーストではあります。

どういう風に作るかと言いますと、ハードトーストの上にマヨネーズとサルサソースを塗り、その上にとろけるチーズ、ソーセージ、タマネギを乗せるのが基本です。
以前は一番上からチーズ乗せてたんですが、なんかチーズが下で上の野菜とかの方によく火が通る方がおいしいような気がして、今は逆になってます。

水曜日に1枚残ってたんですが、木曜日に私は休むことになってたので、木曜日用と金曜日用にもう1枚作り足したんです。
その作り足したやつにチーズ乗せるの忘れてた(笑)

「自分でチーズ乗せてくれたらよかったのに」

と言ったら、

「もう食べ始めてから気がついたんや」

そりゃもう「ええわ」となるわなあ(笑)

今朝、自分のを作ってからそれを思い出し、

「チーズなしやとどんな感じやったんかな」

と、ふと思ったんですが、上述の通り、もうすでに一番下の層にチーズを敷いてしまってたのでできませんでした。

「チーズなしでも結構おいしんとちゃう?」

と、ととろさんは言うけど、やっぱりボリュームも違うし物足りんよね~

そう思うので、ふと間違えてとかでないと、やっぱりわざとチーズ抜くってやれない気がする(笑)

今日はパンを買ったので、ピザは作らず野菜とハムなんかで食べてもらいます。
コールスローも作ったし、日曜日の朝、ゆっくりトーストで召し上がれ。

震災から四半世紀

あの地震から今日で25年だそうです。
早かったのか長かったのか、よう分からん感覚です。

びっくりするのはあれが平成になってからのことだった、ってことです。
てっきり昭和のことのように思ってた。
平成ってそれだけ長かったんですね。

何度も話してることですが、私はあの日は家にいませんでした。
伯母さんの病院に付き添ってたんです。
数時間ですが家族と連絡が取れない時間が続き、余命幾ばくもない伯母さんと2人だけ生き残ったもかも知れないと考えた時はそりゃもう心の中がパニックなんてもんじゃなかったなあ。

でもそんなこと言えないし言わなかった。
そうしたら伯母さんが何度も「ごめんなあ、おばちゃんがおらんかったらあんた家に帰れるのに、ごめんなあ」って謝るの。
すごく辛かった。

同時に、やっぱりそう思ってる部分あるんですよね。
それで「風と共に去りぬ」でアトランタが攻撃されてる時にお産で動けないメラニーがスカーレットに何度も謝って「家に帰りたいでしょう」って言うのにスカーレットがイライラした気持ち、分かりました。

私はスカーレットみたいにメラニーが嫌い、憎いみたいな気持ちはなかったけど、それでもやっぱり、家に帰りたいという気持ちはあったからなあ。
ただ、やっと家と連絡取れた時の母の第一声でその気持ちが吹っ飛んですっとしました。

「あんた、おばちゃんに助けてもろた!」

家は地震であっちこっちやられてました。
翌日帰ったら店の入り口が文字通り「敷居が高く」なってて、地盤沈下があったのが分かったし、外壁は真ん中で割れて観音開きみたいになってるのを紐で留めてあり、内壁は切れ目が入って土壁がボロボロに落ちまくってた。

店の中は揺れるたびに冷蔵庫のドアが開き、中に入ってた物がそのたびに落下して、「バタン、ガシャン、プシュー」と炭酸が吹き出す音がしてたって母が言ってました。
私が帰った時にはもうきれいに掃除されてたけど、それでも吹き出してプールみたいになった液体を掃除した後がネチャネチャして、「なんとかホイホイ」みたいになり、しばらくそういう状態でした。

ただ、

「食器なんか割れてもええぐらいいっぱいあるのに、水屋(食器棚ね)の中のはほとんど何も割れてなかった」

って母が言ってたのは笑ったな(笑)

両親が寝てた一階の和室、貧乏性でタンスの上まで洋服箱を突っ込んでたのが幸いしたのか倒れず下敷きにもならず、両親はケガ一つなかった。

そして妹が、

「私2階で一人やのに、地震が収まっても誰も心配して上がって来てくれなかった」

と怒ってたのもちょっと笑った(笑)

だって親だって動けんもん、あの状態では。
私は病院のソファベッドに寝てたけど、やっぱりすぐには動けなかったよ。
あの物のない部屋にいてすら。

そして、一番被害が大きかったのは私の部屋でした。

何しろ地震がどうのなんて考えたことなかったから、どんどん上まで物を積んでたんですよ。

本棚の上にはカラーボックスを横にしてアルバムを詰め、タンスの上には結構大きいステレオのスピーカーを乗っけて、その間にもケース置いて本(当時はじゃりン子チエとめぞん一刻が詰まってた)がぎっしり入ってて、学習机の上の棚にはでっかいダブルラジカセが乗ってて、他にも隙間という隙間にはなんか詰まったり乗ったりしてました。

それが、部屋の真ん中、私がいつも寝る時にお布団敷いてた場所に全部落ちてきてたらしい。

足元にタンス、頭上に学習机、斜め上に本棚が設置してあったので、頭のあっただろう場所にアルバム詰まったカラーボックス、でっかいラジカセ、足元からスピーカー、他にもなんだかんだ本やらCDやらカセットやらその他諸々が全部寝てるだろう位置に落ちてたらしい。

なので母が、

「もしも家で寝てたら死んでたかも知れない、おばちゃんのおかげ」

って言ったのでした。

帰った時にはもう隅に寄せられてたので現場は見てないけど、実際に見た母はゾッとしただろうなあ。
それをおばちゃんに伝えたら、ちょっとほっとしてくれたように感じました。

ただ、私は寝てる時に結構活動的なので、運良く全部の位置からずれてた可能性もあるから、その時はその時で後になって笑い話になってたかも知れません。
それでも、いなかったという幸運で今もこうしてここで駄文を書き散らせるんですよね。

人間というのは薄情なもので、家族が親族がみんな無事、次々に友人知人も無事となっていくと、私の中の比重はその年の4月に亡くなった伯母の存在が大きくなり、大部分を占め、直接的な震災のことは小さくなってしまってます。
今でも残る家の壁の壊れたの、2階の廊下が傾いて突き当りの壁がひし形になってること、今はリフォームしたけど私の部屋の真ん中から「へ」の字に床が傾いて変な位置に寝ると頭に血が上がるぐらいになったこと、そんなことすら普通になってしまうんですよね。

震災の後1年ぐらい、大雨になると見えない場所から水が吹き込んで、そのたびに修理してました。
妹の部屋、店の上の窓の下がびしょぬれになったり、店の商品を乗せてる棚の下から「ぶしゅー!ぶしゅー!」と隙間も見えないのに水が吹き出したりしたなあ。
思い出したようにガス管が折れたり、とにかく色々ありました。

それでも、震災で人命に関わる直接的な喪失がなかったこと、家に続けて住めること、それだけがあれば小さいことにしてしまえてました。
伯母さんがいなくなったことの方がずっとずっとずっと大きかった。
人間って身勝手です。

25年も経つと実際に知らない人も増えてます。
うちの甥っ子姪っ子からすると、私が親や親族から戦争の話を聞くのと同じような感じなんだろうなあ。
そんな人からすると、いくら聞いてもやっぱり分からないですよ、そんなこと、分かれとも言えません。
そして分かるようなことになってほしくない、とも思います。

毎年この日が来ると思うのはそんなことです。
運がよかった。
それを一番に感じます。
ちょっとずれてたら、今頃こんなのんきなこと言ってられなかったから。
それを忘れず、これからも来る可能性がある災害に備えて次からも泣かないようにしたい。
そして泣いた人のこと、泣けなくなった人のことを忘れないようにしたいと思います。

大失敗した・・・

昨日はどんど焼きして一日煙の臭いがついて過ごしました。

別に煙の臭い自体はそんな嫌なもんじゃないですが、それでもやっぱり煙臭いのはない方がいい。
お風呂に入ってすっきりしよう。

「相棒」が見たかったので、先にととろさんがお風呂に入ってる間に1回目の洗濯しておいて、残りは漬け置きしてタイマーで朝仕上がるようにしよう。
そうしておいて、ゆっくりとお風呂に浸かり、出る時にお風呂洗っておこう。

「相棒」の途中で出来上がった洗濯を取ってきて室内干しにし、ととろさんが出た後、サッカーあるのは知ってたけどお風呂に行きました。
いつもは頭から体まで洗ってから湯船に浸かるけど、今日はもう洗うのでさっとお湯かけてざぶ~ん、ゆっくり浸かることにします。

頭まで浸かって顔だけ出して、

「はあ~気持ちえ~お風呂はええな~」

髪の毛に染み付いた煙の臭いが水に溶けていくようで、すごく気持ちよかったです。
そのままほえ~とお湯に浮いて極楽極楽・・・

と、

「ああぁっ!」

お風呂からがばっ!と起き上がった!
思い出した・・・えらいことや・・・

お風呂から呼び出しボタンを押してととろさんを呼び出す。
のそのそやってきたクマに・・・

扉を開けて覗いて、どうしたのかな?みたいな顔してるととろさんに、

「困ったことになった・・・」

?みたいな顔してるクマに、

「お願いがあります、頼んでええかな・・・」

さらに?みたいな顔してるクマに、

「私の、パジャマとパンツを取ってきてください・・・」

そう、持って来るの忘れたの・・・
あれしてこれしてと考えながらあっち行ったりこっち行ったりして、バスタオルは先にととろさんのと一緒に持って行ってカゴに入れておいたけど、お風呂上がった後で着る服、持って来るの忘れてた・・・

それを聞いたととろさんのうれしそうな顔ったら・・・

「ヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノ 」

この顔文字みたいな顔してたなあ。

「どっちか一つだけ持ってこよかな」

とかうれしそうに言うから、

「ほほう・・・(-_☆)」

と言ったら両方持ってきてくれたけど、もうその間うれしそうでうれしそうで、くやしー!(笑)

本当に大失敗してしまいました。
はあ~ずっと言われる~くやし~(笑)

けむけむどんど

今日は1月15日、小正月、どんど焼きとか左義長とか言われてるお飾りを焼く日です。

昨夜から雨が降ってたようで、どうかなと思ったんですが朝にはやんでました。
天気予報で風が強いとかも言ってたので気になってたんですが、無事に焼くことができました。

本当は朝早くからやるものらしいですが、実家にそんなはよから行ってやれんし今日は寒い。
ってことで、郵便局や買い物行って11時過ぎ、いやもう半ぐらいからかな、実家の玄関前でみちみち焼いて、水と混ぜた灰を家の周囲に結界として置いて終わったら12時過ぎでした。

寒いけど火のそばでそういうことしてたら結構暑かったです。
でも小一時間立ったり座ったり火を避けたり消えたらつけてを繰り返し、家の周囲に灰を置いて回ったらちょっとした筋トレしたぐらい疲れた(笑)

お昼からは普通に用事と仕事してたんですが、なんかちょっとぐったりしたなあ。
それに自分が煙臭い(笑)

今は家で焼けない人も多いと思います。
うちだってマンションではようやらんもんね。
そういう方はお飾りをどうされてるんだろう?
ゴミに出す人はおらんと思いたいが、どうされてます?

予約できなくなりましたー

「確か明日病院だったな」

今朝、そう思って予約票を見たら、

「8日やったやんΣ( ̄▽ ̄;) 」

2ヶ月に1回行く病院の予約、なんでかすっかり勘違いして今週か来週だと思いこんでました。

もしも明日だったら「どんど焼き」もしないといけないし、予約取り直そうかなと思って予約票を確認したらそういうことに。

本来予約が入ってた先週の水曜日、ゴミを出しに行って雨で足を滑らせて玄関で頭ぶつけて脳外科に行ってました。
その時に「思わぬ病院初め」と書いたんですが、本来の予約でも「病院初め」だったんだー忘れてたー(笑)

今日は朝のうちにも用事があり、午後からは父親の歯医者もあり、仕事あり、配達ありの忙しい日だったんですが、3時から予約の電話受付だったので時間の隙間をついて電話をしました。

「これこれこうで」

と、予約した日をすっかり忘れてたことを伝えたら、

「キャンセルせずに日が過ぎてしまった場合は再予約できません」

って、なんですとーΣ( ̄▽ ̄;)

「担当の先生がいらっしゃる日に当日直接いらしてください」

って、なんですとーΣ( ̄▽ ̄;)

この病院、例の時間がかかる病院です。
予約しても2時間以上かかるのに、予約なしで当日行ったらなんぼほど・・・

まだ薬があるから来週でいいんだが、朝一番で行って何時に終わるかな・・・
はあ~失敗したー!
もっと早くに確認して再予約しといたらよかったー!

「病院変わったら?」

と、ととろさんは言うんですが、諸事情でなかなか変わりにくいんですよね、もう付き合い長いし。

ちょっと特殊な病院で、行くようになったのも諸事情でなんで、本当は普通の病院に変わってもいいんですよ。
なんですが、まあなんか変わりにくい。
一度変わったらもうなかなか戻りにくいし。

う~む、変わるなら変わるで紹介状書いてもらわんとあかんし、どっちにしても来週の火曜日か水曜日に行かないといけないなあ。

ただでさえ病院行くってめんどくさいし、行ったら疲れるのに、自分のチョンボでもっともっとややこしくしてしまいました(笑)

連休のフレンチトースト

世間では三連休らしい。

私は実家の店が日曜日だけしか休みがないので、世間がどうでも日曜日と、平日一日(木曜日が多い)が休みです。
土曜日も朝から父親と病院行って、混んでたのでいつもより遅くに実家戻って、お昼ご飯食べて仕事して用事して鏡開きして父親の日曜日のご飯作って夕飯一緒に食べてから帰ってきました。
病院が入るとか仕事や配達が入るとか、その比率で忙しい日が変わるぐらいで土曜日も暇ではない。
さらに言うと翌日の父親のご飯作ったりいつもより忙しいぐらい。
なので連休はほぼありません。

同じように、三連休でも月曜日はお休みじゃない。
商売も暇だし、祝日も休んだらどうかと父親に言ってますが、まあとーちゃんは休んでもやることもないし店を開けてます。
私が行かなくても、配達は翌日に私が来た時にって約束して、後は店でお客さん対応するのと販売機だけやってます。

今日は妹が実家に来ると連絡がありました。
父親のご飯してくれると言うので甘えてますが、大抵は妹が来ても日曜日以外、一回は顔出してます。
色々とやることもあるので。

ですが、今日は、

「あの子来るんやったら休ませてもらおう」

と、思いました。

そんでもって、家の用事もできるだけ休もう。
私も連休取りたい。
甘えられる日は甘えよう。

洗濯は昨夜のうちにやってお風呂場に干しておきました。
これで朝もちょっとゆっくり寝られる、ということでテレビ見ながら8時前までお布団の中におりました。

そして朝食は、昨日から準備してあった「フレンチトースト」を焼きました。
中までしっかり卵液がしみててうまうまだった~♪

20200113a

昨日の父親のお昼用にあっちで作っておいたんですよ。
ととろさんにうちも食べるか聞いたら「食べ過ぎるしなあ」と考えてたのでやめてたら、昨日の朝になって「フレンチトーストは?」とか抜かしやがったので、今日の朝ご飯に準備しておきました(笑)

「フレンチトーストの怖いところは、すぐに食べ終わってしまうこと」

だそうです(笑)

さて、お昼はカップ麺、夜は冷凍食品のピラフとかにしよかな~
手抜くぞ、今日はさぼるぞ、連休だぞ。
とーちゃんに「今日は行かない」と電話したら、なんかちょっと不満そうだったが妹よ、ありがとう(笑)

さらに2つ姉さん女房

毎年栃木のお母さんが「佐野厄よけ大師」の御札を送ってくれます。
それを飾りたくて棚を作ったのが一番最初かな。

それまでは棚の上に、それまでぬいぐるみを乗せてた場所を空けてお飾りしてたんですが、突っ張りで柱を立てて棚を作り、昨年からはそこにお飾りしています。

昨年の2月1日から新しい御札を飾ることにしたんですが、その時に気がついた。

「あれ、私の生年月日間違えてる」

その前年までは合ってたのに、昨年来た御札の私の生年月日が2年年上になってた。

「お母さんが間違えたのか佐野さんが間違えたのか分からんけど、手を合わせる時に生年月日言うからまあええか」

と、一年間ご挨拶してました。

そして今年、「元旦祈願」と書かれた御札が例年より早く届きました。

「やっぱり2年間違えてる・・・」

う~む、どうしたもんか・・・
やっぱり言うた方がええよなあ・・・

ってことで、御札が着いたお礼を言う時に言おうと思って電話したらお母さんが出ませんでした。

仕方がないのでお風呂に入ってたらその間にかかってて、ととろさんが出て、

「軽く言うといたから」

って、先に「生年月日間違えてたよ」と言うてくれたらしい。

お風呂から出て電話して、そのままでもいいと言ったんだが、お母さんが佐野さんに電話して交換?してもらえることになりました。

んで、交換のが送られてきたんですが、札そのままじゃなく、

「名前カード」

だけを交換してそれでいいらしい。

てっきり木のお札そのものが送られてくると思ってたので感心しました。
ええんや、それで(笑)

「名前カード」を交換して、間違えたやつを送り返す返信用封筒まで入れてくれてて、至れり尽くせりにまた感心。
前のお札と一緒に送り返そうと待ってたんだけど、連休明けに両方とも郵便局から送らせていただこうと思います。

無事に正しい生年月日になり、ますます守っていただけるだろう。
ととろさんとさらに年の差が開くことがなくなってよかったよかった。