月別アーカイブ: 2019年3月

般若経と明石城

今日はお寺さんの行事で「大般若祈祷法要」というのに行って来ました。

内容は、

「大般若波羅密多経六百巻を転読し、檀信徒各家の諸願成就を祈願する法要」

だそうです。

この「転読」が好きなんですよ、私。
お経をバラバラバラ~っと流して「読んだことにする」やつです。
楽しんで法要に参加してきました。

そしてその前に1時間ほど講演会があり、今日は、

「明石城築城400年」

と、うちのお寺さんについて、でした。

これが面白かったのよ。

前から「明石城ができる時にお寺さんが移転した」とは聞いてたんですが、それをもっと詳しく聞いた感じ。

「大阪の陣」で豊臣を滅ぼした徳川ですが、まだまだ西には豊臣に可愛らがれていた武将がいっぱいいて、それに睨みを利かすために大阪城を建て直そうと考えます。
そのために要所にあった「高槻城」「尼崎城」を改築し、次に「明石城」を新築したんだそうです。
今の「明石城」より東にお城があったんですが、それを廃して見張るのにちょうどいい今の場所に新しく作り直した。

お城周辺の色んな施設を含めたら姫路城の方が大きかったけど、本丸だけなら「明石城」はかなり大きなお城で「姫路城」より大きかった、という話です。
本丸は500メートル四方あり、城壁は一般的な10メートルの倍の20メートルだそうです。
へ~知らなかった。

今は櫓が2つ残るだけなんですが、その櫓についても色々と話があり、「伏見城」から「赤い格子」と「門」が移築されたのも、大事に建てられたから、なんだそうです。
そしてその「伏見城」から「明石城」に移築された門が明治になってさらにうちのお寺さんに移築されたんだとか。

知らんかった!
今まで何も思わんと通ってた!(笑)

1枚目の写真がお寺の敷地内から撮った写真です。

20190330a

2枚目は外から桜と一緒に撮った写真ですが、お天気が悪かったからどっちも少々暗い。

20190331b

「明石城」って何回も行ってるけど、いつもすらーっと知らん顔して通ってそんなにじっくり見たことないな、そういや。
2つの「櫓」もそばで見たことはあるけど中には入ったことない。
と言うか、入れるって知らなかった。
ずっとじゃないみたいですが、今は3階まで登れるらしい。

その「櫓」の話ですが、明治になった時に大部分の「櫓」は潰されてしまったんですが、今の2つと北にもう1つ残ってたそうです。
それが当時は「宮内庁」の管轄になり、一時は「離宮」を作ろうかってな話があったらしく、「北の櫓」を潰してその木材で1階部分をしっかり補強工事したとか。
その補強工事のおかげで、あの阪神淡路大震災の時にも櫓は倒れずに済んだのだそうです。
すごいなあ。

他に「天守台」が作ってあったのも知らなかった。

手紙が残ってるそうですが、熊本の細川氏の「中津城」の天守台を移築する約束になってたんだそうです。
その後の資料がないもので、どうして移築しなかったのか、もしくはしたのに焼けたのかも分からないとか。

ただ、今日の講師の方は、

「大阪城が徳川と和平を結んだ原因の一つが天守台に砲弾が当たったこと、元々住む場所ではなく弾薬庫とかの意味合いが多かっただけに江戸時代になる時には狙い撃ちされると作る必要がなくなっていたのでは」

ともおっしゃってました。

色々と想像巡らせてしまいますよね~

他にも色々と1時間びっしりお話をしてくださって、「明石市立文化博物館」にめちゃくちゃ行きたくなってます。
「明石城」もじっくり散策したい。
最近で行ったのは「YENA☆」見にだけだもんなあ(笑)

さて、いつととろさんを引っ張って行こうかな。
気分的にはすぐにでも行きたいんだけど、月曜日も火曜日も病院があり、水曜日はお雛様片付けるしなかなか予定が組めない。
いつ行くかな~(笑)

講演1時間、法要1時間、その前に少し早く行ったけどお寺さっぶいさぶい。
冷え冷えで法要後にいただいたお茶が温かくてうれしかった。

粗供養でお寿司もらったので、他にもお寿司買い足して実家に寄って分け分けし、とーちゃんに晩ご飯食べさせた後で家に戻ってととろさんと一緒にお寿司食べました。

写真は粗供養のお寿司です。
こんなんあるの忘れてたわ(笑)

20190331c

ごちそうさまでした( ̄人 ̄)

そして車に乗る時にはずしたマスク、降りる時にもう一度つけたらお線香のにほひがした(笑)

私と平成の共通点

あと2日で新しい元号が発表されます。
何になるのかなあ?

昭和が終わる時と違って、楽しく盛り上がってるのはいいことだと思います。
ご譲位されると決められたのはいい決断だったんじゃないかなあ、と思います。

新しい元号は何?と巷でも色々予想されたりしてますが、その時に平成が決まる時のエピソードも出てきてます。
あの時は3つの候補に絞り込み、そこから「平成」が選ばれた、と。

その時に候補として「修文」「正化」それから「平成」の3つが挙げられその中から平成を選んだんだそうですが、この3つを出す時にはほぼ「平成」がいいなとなっていたらしい。

「昭和と同じイニシャルになるから平成がいいのでは」

これが結構決め手になったみたいですね。
だったら最初から「S」のつかない候補を出せばいいのに、と思い、思い出したことがあります。

私の名前は大伯母の夫がつけてくれたものです。
私が2歳になる前に亡くなってしまったんですが、私の一番古い記憶がこの「おじいちゃん」なのです。
ずいぶんとかわいがってくれていて、私も懐いていたようです。

結構むずかしい人だったらしいんですが、なんでかうちの親とはうまくやてったようで、私のこともかわいがってくれていて、私と妹の名付け親になってくれました。

字画とか色々調べて3つ候補を出してくれて、そこから選びなさい、と言ってきたそうな。

んで、その時に出してくれた名前が、

「◯◯子」「◯子」そして今の私の名前です。
どっちかというと「白蓮」的な名前、「子」のつかない名前です。

今の名前とこの2つを並べて思うことは、

「これはこの名前選べってことよね」

てな選択肢なのですよ。

少なくとも、私の名前を知ってる人ならこの2つとえらく違うと分かるはず(笑)

私の今の名前は漢字2文字で読みも2文字、同じに並べるならそこに「子」をつけると思うんですが、ついてなくて名字に一番合うのがどう考えても今の名前。
そして私の名前と並べて、妹の名前も同じ雰囲気の名前をつけてくれました。

ふとそれを思い出して、

「平成と私、同じやなあ」

と思ってしまった。

今のところ「平成」が一番長く馴染んだ元号です。
そういう似たところも思いついて、ますます親しみを感じてしまった。

その「平成」もあと一ヶ月ほど。
残り一ヶ月も楽しみたいと思います。

良いお返事

昨日のことになりますが、父親に電話をしたら「電源が入ってないか遠くにいるよ」と言われました。

たまにあるんですよね、何かのはずみで長押しとかして電源切れてること。

なので昨日はもう一台の携帯に電話をしました。
とーちゃんはうちのホットラインのPHSと普通の携帯の2台持ちなのです。

呼び出し音が鳴り、出た第一声が、

「こんにちは!」

って、めっちゃ良いお返事だったのです。

「電源入ってない言われとうで」

と言ったら、

「は?」

みたいに考えてから分かったようで、

「あ、そうか」

みたいな返事が返ってきた。

その後また電話したらかかったから、ちゃんと電源オンにできたようじゃ。

今日その話になったら、

「いっちゃんからかかったんか思ったんや」

らしい。

電話かけてかからない時、自宅にかけることの方が多いから、携帯にかかるのは妹からが多いです。
なので妹と間違えてるのかと思ったら、声聞いたらいっちゃんかと思ったらしい。
電話の声、今まで母親と間違えられたことはあるが、いっちゃんとは似てるとも思ってなかったので意外でした。

「そうか、いっちゃんかと思ってこんにちは!てな良いお返事やったわけや、私にはいっつもはいはい、やのに」

と言って笑ってたんですが、ふと思い出してしまった。

まだ須磨に住んでた頃なので、私が小学校の頃の話だと思うんですが、団地の3階に住んでました。
当時はまだそんなに車も多くなくて、駐車場がどうのこうのの時代じゃなく、いつも入り口の横に父親が車を停めていて、仕事に行くのにそこから出発してる様子が窓から見えてました。

ある日、父親が車を出そうとしたら2階のおばさんが踊り場かどこかから、車に向かって、

「◯◯ちゃ~ん(父親の名前)いってらっしゃ~い」

と、ふざけて手を振ったらしいのです。

そしたら父親がニコニコしながら手を振り返したらしい。
その様子を母親が見てたんですね。

当時、同じ列の1階、2階、そしてうちが3階の3軒はしょっちゅう一緒に何かして遊んでて、本当に仲良くしてたんですよ。
なので、別に2階のおばさんがそんなことしてもいつものことで、変なこと疑ったりとかそういうのではなかったんですが、母親もやってみようと思ったらしい。

多分その翌日ぐらいだと思うんですが、同じように父親に向かって「お~い」とかなんとか言いながら手を振ったら、父親が車の窓の内側から、口の形だけで、

「アホ」

と返したのだとか(笑)

「パパがこんなことした」と笑いながら言いつけられました(笑)

「それ思い出したわ」と言ったら、父親も覚えてて笑ってた(笑)

いっちゃんには良いお返事で「こんにちは!」で、私には「はいはい」なんやな~しゃあないな~(笑)

朝活

今日は木曜日、私の定休日です。
何もなければできるだけ家に引きこもって過ごします。

ですが、ちょっと実家に行かないといけない用事ができました。
本当に短時間、ちょっと用事するだけなんですが、さていつ行こう?

ふと思いつき、ととろさんに、

「今朝は駅まで送ろうかな」
「どうしたん?」

で、説明しました。

ととろさんを送ってそのまま実家に行き、さっと用事を終わらせて早く帰ってくる。
そういう計画にしたことを。

そして車で送りながら、

「行ったらびっくりすると思うわ」
「え、言うてないの?Σ( ̄▽ ̄;) 」
「だって言うたらおもしろないやん( ̄▽ ̄)」

そういう作戦だ、うむ。

実家に着き、まだ半分の半分だけシャッター開けてる店から入り込み、

「こんにちは~」

と言ったら父親が、

「どないしたΣ( ̄▽ ̄;) 」

と、びっくりしたした(笑)

へへい~やってやったぜい~作戦成功♪
そんで説明したら笑ってた(笑)

それで用事済ませて父親と一緒に朝ドラ見てから8時半頃に家に戻りました。
さっと用事済ませてさっと帰った。

帰って洗濯干して朝ご飯終わったらさっぱりした~
いいな、朝活。

思えば、実家にいる頃は買い物も母親と一緒に一番に行くことが多かったです。
そうして用事終わらせておいて、お昼に店の仕事やら家事の手伝いやらやって、開いた時間にネットやったりゲームやったりテレビ見たりして、夕ご飯が終わったら自分の時間でした。

今は、お昼から実家に行くからそれに合わせて逆算して、10時から11時頃から買い物に行って、それからあっちの用事して夕ご飯食べて帰ってきて、それからととろさんのご飯したり用事したりして、全部終わってから自分の時間。
まとめて何かやる時間が取りにくいのはしょうがない。

用事があるのにささっと終わらせてしまえるのはいいですね。
後はこれでダラダラするだけ~(笑)
うむ、いい休日だ。

温度差あり過ぎ

家でじっとしてたら足元からひんやりするのに、外に出たら日差しが暖かい。

暖かいレベルならいいけど、車に乗ったり降りたりして動いてたら暑いのなんの。
買い物に出るのにコート着て出たんですが、車の中で煮えそうでした。
エアコンつけてほっとするぐらい。

朝晩は冷え込むというのでコート着て出たんですが、用事と買い物で走って実家に着いて車降りたらほっとしました。

で、家に入ったら父親が、

「寒いだろうと思って」

って電気ヒーターつけてくれてた(笑)

そうなんですよ。
実家でじっとしてたら寒いぐらい。
車で走ってたら煮えそうだったと言ったら笑ってました(笑)

この温度差のせいかなあ、昨夜からととろさんがえらく咳をしてます。
昨日の夜、サッカー見終わって私がお風呂入ろうかなと思う頃から咳してるなと思ったんですよ。
そしたらいつもは私が寝てから寝るクマが、ちょっとしんどいからと早めにお布団に入って咳してる。

ヴェポラップ塗って薄荷のスプレーしてあげたらしばらくしてスウスウ寝出したけど、朝起きたらやっぱり声がおかしかった。
今日は職場の飲み会があるんですよねえ、年度末だし。
大丈夫かな。

「昨日、自分ではそう思ってなかったけど空気が冷たかったからかも」

って言ってましたが、そういや私もえらく鼻が冷たかった。

私の場合、今の時期はくしゃみは鼻づまりで点鼻薬使ったりしたら鼻が冷たくなることがあるから気が付かなかったけど、室温は下がってたのかもなあ。
足元が冷えると電気のヒーターつけたり床暖房入れたりはしてたけど、エアコンは切ってたんで、そのせいで空気は冷たかった気がする。

寒かったり暑かったり温度差で体調崩しそう。
みなさまもどうぞお気をつけて。

コンソメと塩

先日「大中遺跡」に行った帰りに買い物に行き、その時にポテトチップスを買って帰りました。

買ったのは「コンソメ味」と「塩味」です。
ととろさんは「コンソメ味」が好きで私は「塩味」が好きなのです。

昨日、2人で「コンソメ味」の方を食べたんですが、普通のではなく「厚切り」「ギザギザ」のやつだったので、なんかえらく味が濃く感じられました。

私はそこまで薄味の方ではないんですが、それでも父親とととろさんよりは薄い味の方が好きみたいです。
料理して「ちょっと薄めだがこれでいいかな」ぐらいの味にすると、大抵二人に「薄い」と言われます。
「ちょうどいいかな」と思っても「ちょっと薄めだがおいしい」てな時があり、「少し濃い目」と思ったら「ちょうどいい」って言われる感じです。

で、ですね、

「このコンソメちょっと味が濃い、からかった」

と言ったら、やっぱりととろさんは、

「やっぱりコンソメが一番おいしい」

と言う。

そのままで終わろうかなと思ったんですが、なんか口の中がコンソメコンソメしていやな感じだったので、「塩味」を開けて一人で食べた(笑)

「まだ食べるの!」

って言われたけど、なんか味を変えたかったのよ。

口の中が塩味になってお茶飲んだら落ち着いた。

ポテトチップって本当に色んな味がありますよね。
中には笑うようなのもあるけど、定番としては「コンソメ」「塩」「のり塩」とかになるのかな?

みなさんは何味が好きですか?
そして、今まで「これ笑うわ~」てなのありました?それって何味?

神様に言いましょう

昨日の夕方、というか夜になろうとする頃のことです。

「はあ、また明日から一週間か」

と、ためいきつくクマ一匹。

「そやね、今度は間にお休みもないし5日連続やね」

と、追い打ちをかける冷酷なひよこ一匹( ̄▽ ̄)

「なんで一週間は7日あるんやろ、もっと短ければいいのに」

と、さらにためいきつくクマがおったもので、

「それは神さんに言わんとあかんな」

と、冷静に返事を返しました。

だって一週間ってユダヤ教とキリスト教とイスラム教の神様がこの世を作った日程に由来してるもんね。
6日かけてこの世を作って7日目に休んだから一週間は7日になったわけだ。

「だから文句があるなら神様に3日ほどで作ってくれたらよかったのにって言うしかないな」

そう言ったら、

「週に2日だけ働くのならいいのに」

だそうだ。

なんぼなんでも神様も、そこまでさぼるってのは聞いてくれない気がします(笑)

真・しゃぶしゃぶ

「いつかお父さんにも真しゃぶしゃぶを食べてもらわないと!」

ととろさんがそう主張するので、昨日は朝は遺跡行って、夜は実家でしゃぶしゃぶすることになりました。

ただし、

「とーちゃんにあれはかわいそうだから」

と、ブリしゃぶ用のブリ(お刺身用買っただけだが)とちょいいいお肉をと買い物に行ったら、A4ランクのしゃぶしゃぶ用を見つけたのでそれを買いました。

真しゃぶしゃぶ用には1キロ730円(税別)の特売のを買い、他にももうちょっとお買い得な牛肉も買いました。

遺跡を見てる時、妹から、

「急やけどお墓参り行くからおじいちゃんのご飯しよか?」

と言ってきたので、しゃぶしゃぶするから明日のご飯よろしくと、ご飯だけ仕掛けておいてとお願いしたのでゆっくり博物館で遊べたし、帰って家で材料切ってととろさんと一緒に実家に行きました。

そして肉とブリ出して、

「これが例のぐつぐつの肉やから味見るならまずこれから、それで普通の牛肉、次がとーちゃんだけに買ったいい肉とブリをどうぞ」

と、すすめた(笑)

だって、かわいそうやん。
とーちゃんあんまり食べられんのにぐつぐつの肉ってさ~
なので大いなる甘やかしでいい肉を1人だけ用意したのさ。
ブリもね。

「そしたらこれから味見るわ」

と1枚お湯に入れてしゃぶしゃぶではあかんので、

「ぐつぐつしてよ」

と煮えたのを食べて、

「これ1枚でかなりお腹いっぱいになりそうな肉やな」

と笑いながら言って、味の評価はいただきませんでした(笑)

ととろさんが、

「牛肉って国とかで全然味が違うのに豚肉はあまり違いがない」

とかって言い出してそういう話題になり、楽しいうちにしゃぶしゃぶぐつぐつタイム終了しました。

とーちゃんは少しいいお肉残したのでお相伴にもあずかった。
うむ、やっぱり味が違う(笑)

「でも豚肉大好き、これでおいしい、外の薄い肉は偽物」

と、まだ主張してたので、これからも我が家ではぐつぐつになるでしょう(笑)

そうして7時半から天皇陛下の番組見て帰宅したんですが、

「あ、パン忘れた!ご飯も!」

と、思い出してもう一度実家へ。

だって、とーちゃんのご飯はチンして食べるように小分けしておいてきたし、ご飯、お釜の中に残してても悪くなるだけやもーん。
パンは冷凍してあるからどっちでもよかったんだが、ついでに持って帰って今朝は一人でピザトーストにして食べました。

昨日疲れたのか、夜更かししたからか、おバカ扱いされたクマさんは10時過ぎるまで寝てて、お風呂洗いながら、

「生きてるんやろなあ・・・」

と心配してたら、

「起きてきたよ」

と洗面所から声かけてきて、寝坊の罰でくすぐりの刑に処されました( ̄人 ̄)

大中遺跡はもっと宣伝せんとあかんと思うねん

今日は朝からととろさんと「大中遺跡」に行ってきました。

思い返すと昨年の11月に初めて行ってから次が1月、そして今月3月と奇数月に行ってる(笑)

どうしても3月のうちに行っておきたかった理由があります。
今月いっぱい、というか30日で中に入ってるカフェが終わってしまうからです。
カフェのお姉さんと「どちらも須磨出身だった」ということで色々お話するようになり、ガチャガチャやったり色々で「お店があるうちに主人連れてきますね」と約束してたのでした。

約束がなくても連れて行きたかった。
お菓子おいしいし、遺跡面白いしね。

10時過ぎに遺跡に着き、とりあえず復元された竪穴式住居を見てまわりました。

20190323a

この住宅だけ色が違う。
確か、前に来た時は周囲をぐるっと垣根がしてあった一番大きい家だと思うんですが、屋根の葺き直しするのに垣根は撤去したのかな?
他のも見てまわったけど、なかったのでそういう気がする。

結構風があって少し寒かったので、ぐるっと「オポナカムラ(弥生語で大中村らしい)」復元住宅を見て回り、早めに「考古博物館」の建物に入りました。

前回来た時、3月になったらもっと花が咲いてるかなと思ったんですが、まだまだ冬の景色でしたね。
そしてととろさんが「あの家は代々加古川の市長が住んでる家かな」とか言ってたが、残念、ここは加古川じゃなく播磨町なので加古郡だ( ̄▽ ̄)

博物館に入って体験教室へ行きました。
勾玉を作ったり火起こししたりいくつかあるんですが、15分でできるのと無料だったので「組み紐作り」をやってみました。

好きな色の毛糸3本を選んで編むんですが、楽しい~そしておもしろい~
教えてくれたおじさんと色々話をしながらだったので、それも面白かった。
他にも特別な教室とかもあるらしいので、それにも行ってみようかなと思ってます。

こういうのって性格出るんですなあ。
私は「雑かろう早かろう」でととろさんは「じっくり」なので出来上がりにそこそこ差が出た(笑)

20190323b

どっちがどっちの作品か、分かるかな~?

その後は「風月堂ホール」に行ってお茶の時間。
ととろさんを連れて来たかったのよねえ。
前回と同じようにお茶と「ホットケーキ」「和三盆ロール」をいただきました。
ととろさんはミックスジュース、私はカフェオレ。

20190323c

20190323d

どっちもととろさんの手がちょろっと写ってます(笑)

今月で終わりになってしまうので、お姉さんとまたちょっと話をして、次に行かれる店にもよかったら来てくださいね、と言ってもらいました。
チャンスがあったら行きたいと思います。

そしてガチャガチャがね、このお店がなくなったら撤去されるらしい。
最後のガチャガチャをして、なんとか全部コンプリートできました。
ああ、残念・・・
置いてくれたらいいのに。
なんでも業者さんが思ったより売上ないから、とお店がなくなったら撤去するらしい。
博物館も管理しないってことなのかもなあ。
もったいない。

それから展示エリアに入って見てまわりました。
前回刀剣を見に行った時には700円だったか600円だったでしたが、今回は特別展示じゃないので200円でした。

あれは200円以上の価値がある、あり過ぎる。
前回、一人ではとても行けなかった奥までととろさんと、もう一組おばさんコンビがいてゆっくり見て回れてよかった。
縄文から弥生の人の骨だとか、いろんな発掘物にちょっとした小細工っぽい人形、復元した刀剣だとか色んなものがあります。

20190323e

写真はここの服を着てシャーマンになれるコーナーです。
もう一つ武士かなんかになれるのもあったな。
貫頭衣も着られるよ~

見終わって駐車場へ向かう池のところで、

「前に来た時はここでヌートリア見たんだが」

と言ってたらいた!

20190323f

結構大きいぶりぶり太ったのが水に潜っては何か探してるようでした。

「あぶないあぶないから」

と、写真撮ってたら心配性のクマさんがはらはら、大丈夫やっての。

今日は展望台が塗り直しかなんかで上がれなかったのが残念でしたが、他にも色んなところ見てまわって、ととろさんはクタクタ、私は満足な一日でした(笑)

ほんま好きやわあ、あそこ。
私は一日遊んでられるなあ、ととろさんはどうか知らんけど(笑)

そして思う。

大中遺跡はもっともっと宣伝せんともったいないぞ~
あんな貴重なあんな面白いの、兵庫県や加古郡はなんでもっと宣伝せんのや~
民間やったらもっと元とろうとしてがんばるぞ~
がんばれ!

お彼岸って?

お昼に実家に行ったら、妹の旦那の「J2」さんが来てました。

「お彼岸やからお墓参りに」

来てくれたらしい。

お墓参りして、その後で実家に来てお仏壇にも参ってくれたんですが、

「仕事を抜けてきたのですぐ行かんと」

そういう間を抜けて来てくれてた、ありがたいですなあ。

その短い間にちょっと話をしてたら、

「でもお彼岸ってなんなん?お墓とお仏壇どっちにおるん?」

と、ひやかしてきた(笑)

父親が、

「お盆と違うからどっちにおるとかいうんとちゃうから」

と言うので、

「あっちにおってお墓にもお仏壇にもどこでもドアみたいに来てくれるから」

と言っておきました(笑)

でも本当に「お彼岸」ってあんまりよく分かりませんよね。
お盆はあの世からこっちに帰ってきてるけど「お彼岸」って何?

以前、私も気になって調べてみたことがあります。
忘れたのでまた調べよう(笑)

簡単に言うと、そもそもは仏教の修行のなんちゃららしいんですが、それが日本で独自に「お参りする」ってのがくっついて「彼岸法要」とかできるようになったらしい。

春分の日と秋分の日は昼と夜が半分ずつ、真東からのぼったおひさまが真西に降りていく、つまり「西にあるあの世」=「彼岸」がこの世に一番近くなる日、という解釈らしい。
ご先祖様に一番近いってのと、お釈迦様がいらっしゃる「彼岸」に一番近い日に修行したらええよ~ってのが混ざって、日本独自の「お彼岸」ができあがった、らしいです。

だから本来は別にお墓掃除したりお参りしたりするってのではないんだろうけど、まあそういう日になってしまってるから行くといいんじゃないかな。
無理してまで行くことないけど、ちょっとあの世の家族や親族に気持ちを向ける日、ってので行けたら行く、お参りできたらする日を決めてるのは悪いことじゃないと思う。

そういう風習を経てあの世へ行ったご先祖さん達だから、お墓でもお仏壇でも手を合わせたら「近いし行くか」と来てくれるような気もするし(笑)

「彼岸」って「あっちがわ」って意味なんだろうから、それだけ言われてもほんま、意味分からんですもんね。
お彼岸が7日あるってのも「その間のいつか行けばいいだろう」ってことらしいので、なんだかいかにも日本らしい、そういう風習な気がします。