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お昼から唐揚げ

久しぶりに唐揚げを作りました。

前に安い時に鶏肉買っておいて下味つけて冷凍してたのを揚げました。
なかなか揚げ物ってできないんですよねえ、今。

そしてお昼にするのはなぜか?
夜に食べると太りやすいってのもありますが(お、どこぞで聞いたぞ8時以降やめろとかっての)日曜日の夜は忙しいのです、私。

DASHでしょ、大河でしょ、今は「天国と地獄」も見ないといけないし、その後は深夜に「進撃の巨人 final season」ですよ。
こりゃ忙しい!

ってことで、お昼にゆっくりご飯を食べます。

そうして夜は簡単に済ませ、忙しいテレビの間にお風呂に入ったら後はテレビ見て日記書いて、今日はととろさんが夜寝してしまってお風呂に入るのが遅れてるから朝に仕上がるようにタイマーかも知れないけど、できたら洗濯するだけ。

って、その後もやっぱりそれなりに忙しいな(笑)

日曜日の夜ゆっくり過ごせない、一番の責任はやっぱりDASHにあると思うんですが、まあ今日も面白かったからいいです(笑)

ブラッディ親父

昨日、私は用事があってお昼まで父親にご飯を食べておいてもらい、午後から行くことになってました。

やっと用事が終わって2時半頃に実家に行きました。
雨模様で店の中が薄暗く、いつものように事務机に座ってる父親に挨拶し、ちょっと書いてもらう書類があったのでそこで書いてもらってました。

「ちょっと暗いんちゃう、電気もうちょっと点けたら」

天井に3つある細長い蛍光灯のうち、真ん中の一つだけ点けてる。
お天気がいい日ならいいんだが、書類書いてもらうのに暗いしと思って残り2つも点けました。

そして、

「え、ちょっと何それ、頭どしたん!」

 それまで暗くて影だとばっかり思ってたんですが、父親の頭、ほとんど全部きれいな白髪なんですが、その真ん中よりやや左前あたり、どう見ても血が固まってる・・・

「脚立が倒れてきたんや」

そう言う顔も左半分、血が流れた痕がある。

「いつ頃なん」
「9時頃かな」

って、お昼に電話した時なんで言わない!

「ちょっと見せて!」

見た時は血が固まっててかなりの範囲に見えたんですが、水で濡らしたティッシュで拭いていったらそこまで大きいケガではないようでちょっと安心しました。

が、ちょっと安心した、だけ!
脚立が当たったらしい箇所、長さにして3センチ弱ぐらいかな、切れるっていうより裂けてるような感じ。
そこを血が固まって押さえてるが、一番痛そうなところはティッシュで押さえたらまだ血が出てくる。

「痛い!」
「当たり前や、病院いこ」
「ええって」
「これは縫うた方がええから外科行こう」
「いかへん!」
「病院行って!」
「いかへんて!」

いつものケンカですわー

その後、私はどうしても行かないといけない場所があったら、

「先行っておいで!」

こうなったらてこでも動かないのが分かってたので、とりあえず走って仕事と用事を済ませ、一度マンションに戻り(これも戻る必要があったので)その時に父親が行ってる病院と、ととろさんと私が行ってる病院、両方の外科の時間とか調べてからまた実家に戻りました。
大体3時半頃だったかな。

「今やったら○○さん(父親が行ってる病院)やっとからいこ!」
「いかへんって!それより消毒だけして」
「消毒はするけど病院いこ!」
「いかへん!」

まあ親父、いつもの意固地で頑固でもう腹立って腹立って。

治療しようと見たらもう古い絆創膏しかない。
消毒薬はあるけど、髪の毛の上から絆創膏貼っても浮いてくる。

「ちょっと○○(ドラッグストア)行ってくる」

車で走って湿潤タイプの絆創膏と、新しい消毒液を買って帰ってきました。

治療して、傷の上から絆創膏押さえたけどやっぱりきちんとくっつかない。

「病院いこ!」
「いかへん!」

何回繰り返したか、これ・・・

結局どうやっても行かないと言いはるのでじゃあ泊まろうかと言ってもそれも嫌がる。
話を聞く限り頭を打ったってこともなさそうだったし、仕方なく帰ってきました。

今日の朝、行ったら昨日貼った湿潤タイプの絆創膏は結局剥がれてしまってたけど、血が固まってもう血もほとんど出てなかったから、様子を見ることにしました。

とりあえず明日はお風呂入っても頭を洗わないようにと言って帰ってきたけど、白髪の髪の中、血の固まったのが目立つ目立つ。

昨年6月に救急車に来てもらったのを追い返して、結局その後腎盂腎炎で入院したってのになんぼ言うても懲りてないので疲れ果てたー(笑)

大きな顔の夢

今朝見た夢が面白かったのでちょっとその話を。

夢の中でなぜか私は城島リーダーと夫婦らしく、2人で二泊三日(はっきりそう言ってた)の旅行で海辺のペンションへとやってきました。

そのペンションは壁が白くてかわいらしいペンションで、親子連れとかがたくさん泊まってるらしいペンションのようでした。
なんか、色々あったんだけどあまりそのへんはよく覚えてない。

ただ、海辺のと書きましたが実際は海に直接生えてるような、そんな作りでした。
そして多分翌朝(夢の中で寝た記憶はないが)の4時(これもはっきり言ってた)過ぎに外へ出てみたら、遠浅の海の上にカラフルで巨大な雲みたいな綿菓子みたいな顔がふわふわ浮いてるんです。
そこに子供さんとかがきゃっきゃうふふとまとわりついて遊んでる。

私も外に出て足首まで水に浸かりながらそのうちの一つ、大きなピンクの大魔神みたいな顔に近付いて中に入ったら通り過ぎたところからふわっと分かれて消えていくのでした。
すごくメルヘンでした。

そしてやっぱりきゃっきゃうふふしながらふと見たらリーダーがいない。
顔はほとんどそうやって消えてるし、気になってペンションに入ったら、なぜか大正時代の文豪の書斎みたいな部屋でリーダーがうつ伏せで座布団並べた上に寝てる。

どうしたのかと思ったら、お尻を出してそこにお灸が乗ってました。
これ、明らかにこの間のDASHだな(笑)

そしてリーダーが、

「ごめんなあ、せっかく来たのにどっこも連れて行ってやれんようになってしもた、ごめんなあ」

と、しきりに謝ってくるので、

「腰いたなったらしゃあないやん、1人で色々見てくるからゆっくりしとって」

と言って1人で色々と見に出かけました。

最初は図書館。
なんかよく覚えてないけど色々と本を見て楽しかったのは覚えてる。
それから外に出かけて高い崖、ちょうどエレンの巨人実験してるのをハンジさんが上から見て「立ってくれー」と言ってたぐらいの距離から(分かる人だけ分かれ)なんか田んぼアートみたいのを見てました。
藁とかと違ってつるつるしたストローみたいな緑の細長いのを組み合わせてこっちでもやっぱり大きな顔を作ってたなあ。

多分夢はそこで終わりですが、久しぶりに長めのをちょっとしっかり覚えてたので書いておこう。

そして、

「城島リーダーと夫婦みたいで」

と言っただけで、

「不倫Σ( ̄▽ ̄;) 」

というクマ、夢の話やからな?夢の中の登場人物にまでヤキモチ焼くのはやめなはれ(笑)

95年製

最近、なんもやる気が出ません。
年末にどばっと色々崩れたり積んだりしたまま、片付ける気にもならん、時間があったら寝てしまう。
今日も今日とてそんな感じでした。
寒いからかなあ・・・

そんな中、どうしても気になってやったことがあります。

エアコンのフィルター掃除。
実家のは具合が悪くなって強制的にやらされてしまったのですが、うちのはいつでもできると思ったらできなかった。
それが気になって気になって、特に和室の、ととろさんがこっち来た時に買ったエアコンの音が大きい気がして掃除してしまいました。

よっぽど汚れてるかなと思ったら、和室のはそれほど汚れてなかった気がする。
洗って拭いて戻して終わり。

ついでにリビングの方のもと思ったら、こっちの方が汚かった。
こっちも洗って拭いて、戻す時にふと気になって製造年度を見てびびった・・・

「95年製造」

そんな古かったのか!

実はこのエアコン、前の住人さんが置いていったものなのです。
部屋の引き渡しの時にいくつか「どうしますか」ってのがあって、そんじゃそのまま使わせてもらおうとつけたままにしておいてもらいました。

まさか、そんな古かったとは・・・
こりゃ電気代もかかってるんだろうなあ。

2、3年前からエアコン色々見て買おうとして、一度などは実際にテレビの通販で注文の電話までしたものの、電圧のことがよう分からんで、調べてるうちにその気がなくなってキャンセルしたことがあったりした(笑)

今のリビングのエアコン、私が座ってる場所に直撃なんですよ。
なのでもっと真ん中あたりにつけて、とか電気屋さんで聞いたら、今のは直撃にならないようになってるとか、色々聞いて迷ってそのままになってる。

それと、リビングに大きいのつけてととろルームまで風送るようにするってのと、ととろ部屋とどっちにも小さいのにするってので決めかねてるうちに色々あって延期になりました。
まあ色々あるのよ、うん。

しかし、そんな古いとはなあ・・・今まで調べてなかった。

この夏にはやっぱり新しいの考えようかな。
和室のももう古くてリモコン壊れてリビングのと共用にしてるし、こっちももう15年になるからなあ。

あーあっちこっち色々買い替え、壊れそう、でもうどないしましょーってな気分です。

ホーコー鍋

今日の晩ご飯、実家で水炊きにしようとしたらポン酢がなかった・・・

マンションの方はととろさんが味付きポン酢好きなので切らしてないんですが普通のポン酢、味付きじゃない黄色いやつね、あれはあんまり売ってなくてすっかり忘れてしまってました。

仕方なく味付けて「寄せ鍋」にしました。
今日は久しぶりに牡蠣も入れておいしかった。

さて、昔ですが、茨木のおじさんちに行った時、おばさんが、

「ホーコー鍋」

というものを作ってくれまして、何しろたくさんの人数で集まっていたもので、3箇所ぐらいでやってたんだっけかなあ、まあそういう感じでぎっちり具が詰まったお鍋の底から縮んだ牡蠣が出てきたな、って今も笑い話になってる出来事がありました(笑)
おいしく作ってくれてたんですが、お店でもないし普通の家庭でそういうことしてるとどうしてもそんなことになりますよね。

それで、

「そういや(『ほうこう鍋』ってどういう字書くんかな?」

って思いまして、調べてみたら、

「ホーコー鍋・火鍋」

なんですね!
知らんかった・・・

そしたら父親が、

「うちにある真ん中に煙突のある鍋」

って言うんですが、それは違うのです、うちのはしゃぶしゃぶ用のお鍋なのです。

「『ほうこう鍋』は確か真ん中の煙突の中で火炊くはず」

そう言ってたらやっぱりそうでした。

「なんかぎっしり具が詰まった鍋」

とは父親の認識でしたが、実際にそうなんですね、見てみたら・

しゃぶしゃぶ鍋はあるけど、私がフタをしてるしゃぶしゃぶ鍋の真ん中をつまんで指が一瞬くっついた、という事故が昔ありましてあまり使ってない(笑)
でもあのお鍋で代用もできるみたいだから、おばさんはしゃぶしゃぶ鍋で作ってくれてたかも知れないなあ。

何しろずっと昔のことで味とか覚えてなかったんですが、調べてみたら中華風で、他の色んなので見た通り辛いレシピが見つかりました。
そんなに辛くなかったように思ってたんだがなあ、でも私が何かで見たのはやっぱり辛そうだった。
なんかやってみようかな。

フォークリフトずらり

最近、火曜日はお昼過ぎまで家にいる日を増やしてます。

何回も書いてますが、毎日決まってお昼から実家(買い物あるともうちょっと早く出る)に行ってお昼食べてそれからご飯作って仕事してってしてるとどっちの家でもなんもできんのです。
なので少しずついる時間を増やした日を作って、それで年末には店の片付けとかちょっとできたりもしました。

今日も父親にお昼ご飯を置いてきて(サンドイッチが多い)家で用事をする予定だったんですが、今朝から寒くて寒くて、特に肩から背中にかけてが寒くて温まらない。
こういう時は肩から風邪ひきそうなもんで、ゴミ捨てやら用事を終わらせた後、もう一度お布団に入って寝てました。
おかげでちょっとすっきりしたー

そういうわけで、今日は問屋さんに荷物を取りに行ったのがもう3時過ぎてからでした。
いつもは午前中、大体11時から11時半ぐらいに行くんですけどね。

で、行って荷物を出してもらってる時にいいもの見ちゃった・・・

「うわ、倉庫の前にフォークリフトが勢揃いしとる!」

もうすでに作業を終えてしまったフォークリフトがずらっと並んで停まってた。
いつもみんな作業してるところしか見たことなかったからなあ。

いやあ、興奮しました・・・
好きなんです、フォークリフト。

私が高校に入る年、父親が商売を始めました。
その時に問屋さんに用事で着いて行ったら、そこでくるくる回るフォークリフトを見て恋に、落ちた・・・
かわいいのよ!

んで、高校時代からこういうこと言ってました。

「もしも、余ってどう使ってもいいお金がたくさんあったら日本刀とフォークリフトがほしい」

と。

日本刀についてはほしい理由、多分ってのがあるんですが今日は関係ないから割愛。
フォークリフトはそういう理由でほしいのです。

でもね、普通の生活してたらフォークリフトなんて買えないんですよ。
だって、買ってもどう使う?
なのでよーっぽどお金ができて、そんでそれを置いておいても大丈夫なだけの土地とかなんかができたら買います。
フォークリフトの免許も取りたい!

今もその夢はなくしておりません、はい。

須磨寺の話

実家でテレビを見ていたら高野山が出て、そこから、

「馴染みのあるお寺と言うとやっぱり須磨寺かな」

という話になりました。

うちの菩提寺はもちろんありますが、私は子供の頃から須磨寺の「おだいっさん」に出入りしていたので、子供の頃の思い出がたくさんあるのはやはりこちらになるのかも。

小学校の頃、夏の暑い日なんかはわざわざ学校の帰りに須磨寺の「霊泉」まで足を伸ばし、そこで冷たい水を飲んで、さらに水筒にも水を入れてまたそれを飲みながら帰ってました。
今考えてみると、わざわざ須磨寺まで足を伸ばさずまっすぐ帰った方が近いのに、そういうことしてたなあ(笑)

そして21日になると「おだいっさん」の縁日があります。
一度家まで帰って荷物を置き、お小遣い握ってまた須磨寺まで行ってました。

今思えば子供って元気やなあ。

須磨寺の商店街の方、下の方からずっと上がって行くんですが、行きには買い物は我慢です。
ちゃんとお参りしてから、を守ってました。

というか、私、誰と行ってたんだろう?とあまり思い出せない。
近くの子と行ってたとしたらあの子かな?って人もいることはいるんですが、その子たちだけではなかったと思う。
なぜか妹とは行ったことがないと思うんだが、一度だけそう仲良くもなかった妹と同学年の女の子と行った記憶はあるな。

で、思い出したんだが、仕事に行ってた頃、春節祭となると仕事帰りに南京町に行ってたんですよ、毎日のように。
その時に職場の友達とかが「一緒に行ってもいい?」ってことで、一緒に行くことがあり、そう親しくない人とも行ってたから、その当時もそうだったのかな?
何しろ「○○さん(私ね)と言えば春節祭」と言われるぐらい毎年のことで、そんなに面白いのかとついて来てた人色々いたから、子供の頃からそうだったのかも知れない(笑)

まあ、そんな感じで毎月のように行くんですが、お参りなんて一応するけど子供ですからね、縁日の買い物がやっぱり目的だったように思います。

よく覚えてるのは入り口に近い方、参道を登る方向を向いてその右側に安い雑貨やおもちゃを売ってる店があり、そこで毎月のように「今月はフォーク」「次はナイフ」みたいにままごとの食器とか買ってました。

それから同じ列のもう少し上には「芋飴」の屋台があり、そこで飴を買ってはおばさんのお土産やお見舞いにしてたなあ。
斜め切ったねっちゃりとした飴で、おじさんにいくらいくらと値段を言うと重さを計って入れてくれるんですが、毎月のように買うので顔を覚えられて「おまけしとくな」と言ってくれてました。
本当かどうかは知らんけど(笑)

それからさらに上に行くと、やはり道の右手に「穴が開いたお鍋に張ると水がもれないシール」とか「タージ・マハルのまり」とかそういうのを色々売ってました。

左手のお店はあまり覚えがないんですが、階段のすぐ下あたりの左に当時はまだ「傷痍軍人」さんが、白い服装、松葉杖をついてハーモニカを吹きながら立ってました。
前に置いてるお鍋だったかなあ、箱だったかなあ、そこに通りがかりの人がお金を入れると頭を下げてました。

男の子たちが、

「あのおっちゃん、夕方になったら松葉杖外して歩いて帰っとったで」

とか、本当か嘘か分からんこと言うてたなあ。

その階段を上がると右手に鐘があります。
「浄財」と書かれてた(と思う)箱にお金を入れてから鐘を撞くんですが、子供はみんなだまって撞いてました。

そしてその「浄財」の箱を男子たちは、

「あの箱の中に敦盛の首が入っとう」

って言ってて怖かったなあ。

本当の「敦盛塚」は上がって左に曲がったずっと先なんですけどね、子供たちの中で情報が曲がって伝わっていたのでしょう。

「敦盛塚」までは行かないけど、その当たりでお参りをして、それから縁日を楽しんでました。
さっき書いてた下のお店は上から順番に行ってたので、おままごとの道具は最後の最後に行くお店でした。

境内まで上がってしまうと左手にテントみたいになって「かんとだき」とか売ってる店があり、正面あたりには「釣り鐘まんじゅう」って言うのかな、釣り鐘みたいな形で中にあんこが入ってるおまんじゅうを売ってました。
「かんとだき」も「釣り鐘まんじゅう」も子供からするとちょっと高かったので、あまりそれは買ったことないな。
何しろ帰りにおままごとの道具を買わないといけないし。

そのテントみたいなところのどっちだったかなあ、「のぞきからくり」を置いてある場所があったんですよ。
何かの建物の外だったと思います。
確か30円だった思うけど、なぜか毎月それをのぞくのが楽しみでした。

ちゃりんちゃりんとお金を入れて双眼鏡みたいなのぞき窓から中をのぞくと、カシャンカシャンと紙芝居みたいに絵が入れ替わってお話が始まります。
それが、中学の時に国語の教科書に出てきた「敦盛と直実」だとは知らず、毎月毎月飽きもせず、一緒に行った友達が呆れるほど毎回見てたなあ。
思えばあれが、須磨寺が私の古典好きの原点だった気がする。
何しろそういう場所とか多いですからね。

「のぞきからくり」を見てから色々買ったり食べたりしながら下に戻って行って、須磨寺の商店街の入口で連れとばいばいして帰ってた気がします。
いつも絶対決まった子と行ってた記憶はないんですが、須磨寺の商店街の子や、確か天理教だったかなあ、があって、そこの子と一緒だったこともある気がします。

そんなこんなで馴染みのお寺だったせいか、今住んでるマンション、ここを買う時にちょっと色々あって一度諦めかけたんですが、その時にととろさんに、

「須磨寺にお参りに行きたい」

そう言ってお参りして、そこでととろさんに「また最初から家さがししよう」と慰められて、いやいやながら諦めようと思って帰ってきたら買えるようになっててびっくりしました。
なんか、その時だけじゃなく、何かあったら今もお参りに行ってるなあ。
1人だったり、ととろさんや他の人が一緒だったり、今もそんな感じで行ってる気がする。

しかし、なんで子供の頃ってこんなによく覚えてるんですかね?
今、同じようにしてどこかに行ってもここまでしっかり覚えてない気がします。
いつ思い出しても懐かしい須磨寺のお話でした。

大人しいの意味

昨夜の出来事です・・・

何時頃だったかなあ、3時過ぎぐらい?多分そのぐらいのことだったはず。
なんでそう曖昧かと言いますと、ほぼ頭が寝てたからです。

ふと目を覚ますと、私の左側で誰かが寝てるのです・・・

うちは私が左、ととろさんが右に寝てます。
だから普通なら誰もいないはずの左側に誰かが寝てる。

誰だ?と思ったらうちのクマです。

「え、なんで、なんでそっちに寝とん?」

そう聞いたら、クマが起きていたのか寝ていたのか分かりませんが、

「ととろさんが寝ようと思ったらひよこさんが大の字で寝てたので自分の場所で寝られなくてこっちに寝た」

と、嘘をこきやがるのです。

「まさか~私は大人しく自分の場所で寝てたけど」

と言ったら、

「大人しくって大きい大の字の人って意味?」

とかえってきた。

ちゃうわ!(笑)

「あんまりよく寝てるから移動したら起こすかと思ってこっちで寝た」

って言うんですが、私はというと2枚のお布団の境目の畳の部分に落ちたみたいに寝てたのですよ。

「そんじゃ戻って、自分のとこに」

と言ったんですが、クマの野郎も眠いのか起きてくれない。

それで仕方なくクマ布団に移動してクマ布団をかけて寝ようと思ったら、

「え、掛布団いるの?」

って、そりゃ冬の夜だしいるわい!

「だってお布団ぬいでるからかけようと思ったら暑いから脱いでる言うし」

はい、それは記憶にあります。
冬でも関係なくしっかりかぶってたら暑くなって脱いでることありますから。
でも今回は言った記憶がない・・・

眠いし、とにかく寒いからととろ布団をかぶってととろ布団で寝たんですが、枕の高さが違うんですよ。
ととろさんは低めがいいからとバスタオル2枚折って高さ調節してそれで寝てますが、私はそば殻枕で寝てる。
でも眠いが先に立つのでそのまま寝ました。

朝、一度起きて父親に定時連絡してから二度寝。
おやすみはこれがいいねえ、ひさしぶりに二度寝した。

その時にクマを乗り越えていつも自分が抱えてるテレビのリモコンを取って隣に起き、エアコンのスイッチ入れてテレビみながらまた寝てました。
スーパーヒーロータイムまでには起きてたけど、そのまま寝転んで見てました。
クマは寝てた。

起きてからまた、

「今回はあのぐらいだったけど、一度もっとど真ん中に寝てた時はさすがに寝る場所がなかったから起こしたけど、起こすのかわいそうだったから仕方なく」

って大の字強調するー!(笑)

私は朝起きたら大体寝てた時の姿勢で寝てるから、絶対ととろさんの作り話だと思っている。

甘いの酸っぱいの

多分この冬最後のみかんを今日食べ終えました。
実家にはまだ3つほど残ってますけど、持って帰ったやつね。

今日はみかんの前にととろさんのお母さんが送ってくれた甘いピーナッツを食べ、バナナも食べてました、私。

その後で洗い物をしてたらととろさんがみかんを食べ始め、

「あ、これは甘いよ、食べる?」

と聞いてきたので「いやいや」しておきました。

「どうして、甘いのに」

って言うから、

「甘いの食べた後で酸っぱいのよう食べんもん、それに洗い物しとんのにそっちまで行けんし」

と言ったら、

「じゃあ持って行ってあげるから」

と、流しのところまで持ってきてくれたので、ヨドンナ様(知ってる人だけ分かれ)みたいに首かしげて嫌がってたら、

「どうしてそんな顔してるの、甘いから」

って口に入れてくれたので仕方なく食べました。

甘いけど、甘いけどやっぱりちょっと酸っぱく感じる。
それで微妙な顔してたらまた口に入れてくれたのでヨドンナ様バージョンのママ食べました、結局1つ全部食べた(笑)

「甘かったでしょ」

って言うけど、甘かったけど酸っぱかった。

私は甘いのの後で酸っぱいのは苦手なんですが、ととろさんは平気で食べるんですよねえ。
甘いのの後で酸っぱいのってきつくないですか?
ととろさんはかなり甘いの食べた後でも酸っぱいみかんを食べるので、みなさんはどうなのかな?と思ってしまいました。

どんど焼きのニューヒーロー

今日は1月15日、お正月に飾ってたお飾りなんかを焼く「どんど焼き」の日です。
学校でやる時なんかは「左義長」とか言いますね。
なんでそんな呼び名なのか知らんけど。

とにかく、お飾りを焼きたいのです。
今住んでるところはマンションなので、そこではそういうことしてる人はいませんが、実家でやります
本当は結構朝早くにやるものだと思うんですが、そんな時間から行ってられないので、とにかく午前ならよかろうと思ってます。

11時過ぎに家を出て実家に行き、どんど焼きスタート!
もう先日、11日にお飾りを外した時にほぐして青いビニールに入れてあるのでそれを焼くだけ。
それに今年は力強い味方がいるのです、ふっふっふっ・・・

「ドーバーパストリーゼ」

聞いたことある方もいらっしゃると思います、消毒液です。
というか、元々はお酒をアルコール濃度77パーセントで消毒薬として扱っているのです。
いつだったかなあ、問屋さんで見つけてそれの一斗缶を買って使ってました。
春だったからもう1年近くになるけど、まだ残ってます。
結構毎日ぷしゅぷしゅ使ってるし、妹んちにもアルコールない頃に分けたのにまだある、すげえな一斗缶・・・

その一斗缶の残りを瓶やらなんやらに分けて入れて、空っぽにしたのをどんど焼きに使います。
これまでは使ってない素焼きの植木鉢、一度使ってひびが入ったのを使ってたんですが、こういう缶がほしいなとずっと思ってたんですよ。

そこにどばっと入れて一気に焼いてしまえば楽じゃないかな、そう思ってそれ用にしたのです。

実家で準備を始めてたら、父親のお友達のHさんがやってきて、「何しとんの?」と聞いてきたので説明しました。
私が焼き焼きしてる間、店で父とソーシャルディスタンスを守りながらおしゃべりです。

「これも焼いといて」

と、お正月に店に貼ってた「新年は6日から」の紙も一緒に焼く、焚付になっていいだろう。

と、思ってたら、これがね、なかなか難物でした・・・
燃えないのよ、分厚いからかなんかコーティングしてるからか。
そんでもってすごい煙が出てきた。
火は出てきてないけどいぶされていぶされて燻製になりそうになりました。

「大丈夫、パパが心配してるよ」

と、Hさんが見に来てくれたぐらいけぶりました。

その後、火がちゃんと出て一気に焼けたけど、あれはあのままじゃなく切るとかなんかして入れないといけないな、来年は。
今日一日、ずっと自分が煙臭かった(笑)

そうしてちゃんと焼き上げて、水入れて、家の周囲に結界貼って完了です。
これでまた1年、神様が守ってくださるでしょう。

きれいな白いドーバーの缶は、外も煤けて一部黒くなってます。
今のがなくなったらまた買おうかって話になってるので(食品にも使えて便利なのよ)次のもまた何か使いみち考えましょう、と思ってます。